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東京~奈良へ(8月30日編)

平成26年8月30日(土)
奈良明日香村で国宝高松塚古墳壁画修理作業室が8月23日~31日まで公開されました。事前に申し込み、甥の車に乗せてもらい早朝出かけました。
村内の修復施設で汚れからの修復が進む壁画も公開は12回目。今回は「飛鳥美人」で有名な西壁女子群像など、石室内の東西壁に描かれた男女の群像が勢ぞろいし、通路のガラス越しからの鑑賞だったが素晴らしいの一語に尽きるものでした。

この古墳は、7世紀末~8世紀始めに築造されたものだが、地元の人が墳丘の南斜面で作物貯蔵用の穴を掘ったところ凝灰岩の切石を発見、これがきっかけで、昭和47年3月から調査が行われ壁画発見となりました。発見も発明も、えてして偶然が伴うものです。

調査終了後密封されたが、その後の調査でカビ等が生えていることがわかり、石室を解体し、温度、湿度で管理された修理室が建設され、そこで、保管・修理がおこなわれています。さて、石室の内部には彩色壁画として四神の図があります。青龍(東)、朱雀(南)、白虎(西)、玄武(北)、これに青龍、白虎の上部にそれぞれ日像、月像、又、天井に星宿が描かれています。そして、男子4人、女子4人、各1組の群像が東西両壁に2組ずつ計16人が描かれています。

どの像もすぐれた筆致で実に細かく描かれ、我が国の美術、絵画史上優れた作品でした。被葬者は不明であるが、極めて地位の高い人物であったことは想像出来ます。ただ、私自身、以外だったことは、そんなに大きな古墳でなかったことです。
高松塚古墳は、直径23メートル、高さ5メートルの円墳です。平成21年滑川市上梅沢地内で発掘された3世紀の古墳は直径17.5メートルの円墳(高さは削り取られているため不明)です。そんなに違わないと思うのは素人の考えでしょうか?

いつも不思議に思うことは、石室の材質は凝灰岩であることです。一番大きく、重いのは1,5トン。同質の凝灰岩は明日香村から30キロ程離れたニ上山(にじょうざん)から運んだと言われています。それも数十数個。
そう考えると、蘇我馬子の墓でないかといわれる「石舞台古墳」は玄室の長さ7,8メートル、幅約3,4メートル、高さ4,8メートル、、で 大小30数個の花崗岩が使われ、天井の石の重さは北側1個約64トン、南側1個約77トン 総重量約2300トンです。これを3キロ離れた所から運んだ、とガイドが説明していましたが、1300年前、現代のような土木技術もないことを考えるとにわかに信じられません。
そんな質問をすると、ガイドはコロを使いから始め、エジプトのピラミッドや大阪城の石垣の例を出して説明するが仲々理解できません。それにしても凄いの一言であります。

この日は、早朝から高松塚古墳壁画修理作業室、古墳、壁画館、鬼の雪隠、鬼の俎、石舞台古墳、県立万葉文化館、酒船石遺跡、亀形石造物、日本最初の寺596年創建の飛鳥大仏で有名な飛鳥寺、蘇我入鹿首塚、飛鳥資料館等を見学し内容の濃い一日でした。

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(高松塚古墳前にて)

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(飛鳥美人)

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(通路よりガラス越しの修理作業室)

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(石舞台古墳 *石の重さは77トン)



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