5月13日(水)久し振りに、清水寺森清範貫主を訪問しました。目的は清水寺「平成縁起絵巻」が10年の歳月をかけ、この度めでたく完成し、特別公開されているのを知ったからです。
実は、清水寺には室町時代に描かれた「清水寺縁起絵巻」全三巻がありましたが、明治維新後の神仏分離令や廃仏毀釈の嵐の中、寺より流失してしまいました。
だが、幸いにも現在東京国立博物館に、国重要文化財として収蔵されています。しかし、当然のことながら室町時代以前の事柄で終っております。
そこで、平成の今日に至る清水寺1200年の歴史を描く絵巻物との森貫主の情熱が10年の歳月をかけ、全長65メートル、全9巻の絵巻物として完成したものです。筆は、京都嵯峨芸術大学名誉教授、箱崎睦昌画伯によるものです。
3時30分頃清水寺に入り、森貫主と応接室で30分程懇談。特別公開は、清水寺成就院で開催され、5月13日が最終日。午後4時で終了でしたが、清水寺学芸員、坂井輝久氏のご案内で箱崎画伯まで一諸に約1時間解説して頂だき大変恐縮しました。
画伯によれば、最も苦慮したのは長期保存に耐えうる基底材と表現技法とのことでした。当然和紙の選択も考えましたが、手織りの絹と裏彩色技法を選択したとのことでした。色々と苦労話をお聞きしましたが、素人の私には理解出来ない点も多々ありました。
それにしても、1巻約8メートル、全9巻がそれぞれガラスケースに収められ、正に壮観そのものでした。森貫主によれば、全巻一同に公開するのは、当分ないとのことでした。
それ故、貴重なものを見せて頂いたことに感激で一杯でした。
また、森貫主いわく、「中屋さんは最終日の最後の見学者、これも何かのご縁ですね」との言葉にまた恐縮した次第です。清水寺は、1200年の歴史の中で応仁の乱を始めとし度々火災に見舞われています。特に寛永6年「1629」成就院から出火、堂塔、伽藍のほとんどが焼失しました。
しかし、本尊は駆け付けた僧二人が戸帳に包んで運び、脇侍の地蔵菩薩と毘沙門天も抱いて出され、さらに長谷川久蔵筆の大絵馬も猛炎の中から搬出されました。その僅か4年後の寛永10年(1633)徳川家光公の再建発願により復興がなり、本尊の遷座が行われた。
その後、成就院等も含め徐々に再建され現在の姿になりました。そして昭和27年(1952)本堂が国宝、西門、鐘楼、馬駐が重要文化財に指定されています。また、平成6年(1994)世界文化遺産に登録された。これも、清水寺中興の祖と言われる大西良慶和上と、その弟子である現貫主・森清範師お二人のご尽力に負うところ大なるものがあると思います。
特に、今年は大きな行事が目白押しです。
①大西良慶和上が大正4年開講された暁天法話「8月1日~5日」が100回を迎える。
②大西良慶和上が昭和58年(1983)涅槃の日に数え109歳で示寂されてから33回忌を迎える。
②北法相宗として立宗。昭和40年(1965)から50年を迎える。
④清水寺「清水」誌発刊200号を迎える。
⑤清水寺1200年歴史絵巻物完成。などがある。
実は、今年が滑川市でご講演頂いて記念すべき20回目の節目の年です。私は勝手に清水寺6大行事と言っていますが、6月7日(日)午後3時30分滑川市民大ホールで『施しのこころ』と題し市民文化講演会が開催されます。
特に20回記念として市民から募集した漢字一文字をご講演の前にお書き頂くことになっています。
また、毎年12月12日お書きになる、今年の漢字一文字を平成7年の『震』から平成16年の『税』まで、一同に展示されます。6月9日(火)~14日(日)まで滑川市立博物館でも同様展示されます。
最後に森貫主さんが、「中屋さん、重大決意をする時、いつでも清水の舞台をお貸ししますからお使い下さい」とのユーモア溢れる言葉でお別れし清水寺をあとにしました。
この日は、東山にある坂本竜馬と中岡慎太郎のお墓をお参りし、霊山歴史館(幕末、維新ミュージアム)で開催中の企画展「松陰をめぐる人びと」を見ました。。
また、京都国立博物館で(桃山時代・狩野派・永徳の後継者たち)を見て国宝の襖絵や屏風の大作の数々には圧倒されました。やはり、京都でなければ見れない物ばかりでした。
(清水寺 森清範貫主と清水寺迎賓館にて)
(霊山歴史館坂本竜馬像前にて)