7月11日(土)大阪弁天町のホテル大阪ベイタワーで51名参加のもと、盛会に開催されました。私は滑川高校同窓会長として澤井校長とともに出席しました。
総会において、2期4年会長を務められた畑岸隆一氏が退任され、新たに千先久矩氏が就任されました。畑岸氏の労に感謝し、千先氏のご活躍に期待するものです。
それにしても、誰にも生まれ育った故郷があり、人それぞれ、心の拠り所として生きているものと思います。「故郷は遠くにありて想うもの」との言葉がありますが、いつも故郷のことを気にかけ、故郷の発展を願っている方々がおられることは、本当に嬉しく有難いことです。そんな思いの結集が総会であり、懇親会であったと思います。
かつて、戦前の滑川町は人口2万人ほどの小さな町でした。そこに、県立高校が3校ありました。滑川女学校、滑川商業学校、滑川水産学校、これに、町立薬業学校です。
近隣の市町村と比較しても、これだけ多くの学校があったとは驚きであり、先人の教育にかけた情熱が伝わってくるように思われます。
しかし、現在は滑川高校1校だけになりました。私は、挨拶の中で、関西滑川会の構成は必ずしも滑川高校卒業者とは限らないけれども、故郷を離れた人々には、市内で唯1校の滑川高校が皆さんの母校と思い、これからも変わらぬご支援をお願いしました。
さて、当日、早朝富山を出て総会前にあべのハルカス美術館で開催されている『昔も今も、こんぴらさん 金毘羅宮のたからもの』と題し、全国各地から奉納された物の中から逸品が展示されていました。特に圧巻だったのは、円山応挙の雅松丹頂図、芦丹頂図、遊虎図東面、北面右、北面左、西面。竹林七賢人図、東面、北面等の襖それに、伊藤若冲の花丸図の襖や 油絵の高橋由一の作品8点もすばらしかったです。
総会終了後、天王寺で神戸在住のある青年に会いました。彼は同志社大学を出て京都銀行に10年勤務。昨年3月退職。父の配置薬業に従事するため4月、新規薬業従事者講習に神戸から富山へやってきた時が出会いでありました。久し振りに会って薬業の感想を聞いてみたところ、以外にも第一声がこれ程面白い仕事は無い。彼曰く銀行員では味わう事の出来ない、人と人との触れ合いのなかから生まれる人間の情を感じる素晴らしい職業だと、いきいきと語ってくれました。
業界には難問が山積しています。幕末の志士、高杉晋作の辞世の歌は「おもしろき、事もなき世を、おもしろく、棲みなすものは、心なりけり」と言われています。
つまり、心の持ちようによってはいかようにも変える事ができる。ということと思います
久し振りに、前向きな話しに花が咲き、爽やかな気持ちで別れ、この夜は京都の姉の家で一泊しました。
<第48回関西滑川会総会にて 挨拶する私>