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滑川―秋田―東京

【5月26日】
午前10時開催された[一社]秋田県医薬品配置協会総会、及び名誉会長故吉村登喜男氏、協会副会長故馬場秀知氏を偲ぶ会出席のため5月25日滑川を出発しました。実は、秋田市で午前10時から開催される会議には当日出発しては間に合いません。
6時19分北陸新幹線かがやきに乗って大宮で秋田新幹線こまちに乗り換えても秋田着は午後12時30分。故に前泊せざるを得ないのです。
25日午前6時38分滑川発あいの風鉄道泊行き。泊着7時12分。泊発7時15分えちごトキメキ鉄道直江津行き。8時26分着。直江津発8時31分JR信越線快速新潟行き。新潟着10時33分。ここで2時間の待ち合わせ。これが長い。12時33分新潟発特急いなほ秋田行き。16時04分秋田着。実に、9時間20分余りでした。

かって大阪―青森間には特急「白鳥」や寝台特急「日本海」が2本。急行「しらゆき」加えて寝台特急「トワエライト・エクスプレス」まであったことを思うと今昔の感ひとしおです。北陸新幹線開業後不便になった最たる例でしょう。
26日総会に出席。私の持ち時間の範囲でお話をさせて頂いた後、お二人の偲ぶ会が開催されました。動の吉村氏と静の馬場氏と対象的な性格でしたが、このお二人によって、協会が発展したのは事実であり、二人をほぼ同時に失ったことは、大きな損失で有ります。
私としても懇意にしていただけに唯唯残念でなりません。

「散る桜、残る、桜も散る桜」

【5月27日】
7時15分秋田新幹線で東京へ。上野東京国立博物館で①「守り抜かれたシルクロードの秘宝黄金のアフガニスタン」と②天正遣欧少年使節伊東マンショの肖像展を見学しました。
①は御存じの通り、1979年ソ連の軍事介入に前後して国内情勢が不安定になり、アフガニスタン国立博物館の収蔵品の数々は略奪や焼失の危機にさらされ、避難を余儀なくされました。
そして、襲撃を危惧した博物館の館員たちが1989年決死の行動に出て、秘宝の数々を秘密裏にある場所へ運び出しました。
その後、ついに1993年ロケット弾の砲弾により、博物館の屋根が吹き飛ぶなど大きな被害を受けました。そして多くは失われたと誰もが考えていたのですが、2004年博物館の館員たちが秘宝を隠していたのは大統領府にある中央銀行の地下金庫の中でした。

文化財の破壊を繰り返していたタリバン政権が崩壊。アフガニスタンの秘宝は10数年間の眠りから再び目を覚まし、このたび、その一部が世界10ヵ国を巡回し日本にもやってきたものでした。
「自らの文化が生き続ける限り、その国は生きながらえる。」
これは、アフガニスタン国立博物館に掲げられている標語だそうです。自国の文化を尊ぶことの重要性を語りかけているようです。
又、平山郁夫画伯が提唱し、日本で「文化財難民」として保護された「アフガニスタン流失文化財」全102件の内15件も出品されていました。そして、これを機に「流失文化財」がアフガニスタン政府に返還されることが決まったそうです。バーミヤンの大石仏がタリバンに破壊された時、全世界に大きな衝撃を与えましたが、出品された数々の作品は実に素晴らしい物ばかりでした。館員たちの勇気ある行動を称えたいと思います。

我が国でも応仁の乱を始めとしての内乱や、第二次大戦での空襲によって貴重な建物や文化財が破壊や焼失しました。又、明治維新の廃仏毀釈によって寺院が荒廃し仏像を始め、数々の文化財が海外に流失しました。今、尚、ボストン美術館を始め世界に日本文化の粋を集めた作品が散逸しています。当時の岡倉天心の努力が思い出されます。

次いで、この度発見された伊東マンショの肖像を見ました。
天正10年「1582」2月九州の3人のキリシタン大名の名代として、伊東マンショら4人の少年を中心とする天正遣欧使節団が長崎を出航し、中国、インド、ポルトガル、スペインを経て、輝かしいルネサンス期のイタリアの地を踏みます。フイレンツェ、ローマ、ブェネツィアなどの主要都市で歓迎を受け、ローマ教皇グレゴリウス13世との謁見式や華やかな舞踏会に参列し、8年後の天正18年「1590」4人そろって帰国しました。これ等のことはすでに知られていたことですが、明治6年「1873」岩倉具視を中心とする岩倉使節団がブェネツィアを訪問した際には、仙台藩主伊達正宗が慶長18年「1613」に派遣した支倉常長の文書とともに天正遣欧使節の文書に出会い、その存在が日本で再び知られることになりました。唯、この肖像画の存在は文献でのみ確認されていたものが、平成26年「2014」発見され今回公開されたものです。

現代で言うならば、まだ小学生の13歳―14歳の年代の少年が帰国後にヨーロッパでの見聞を普及することも含め大きな目的をもって命がけで使命を果たそうとしている姿に心を打たれます。この姿は、1400年程前10代の若者が律令制度や仏教や大陸の文化を日本に持ち帰ろうとした遣隋使や遣唐使。荒海の東シナ海で命を落とした若者。科挙の試験に合格しながら現地で亡くなった優秀な若者たち。数年前、西安で墓誌が発見された井真成もその一人でしょう。又、再三の帰国願いがやっと叶えられたが船が難破し安南「現在のベトナム」に標着しそこで最後を迎えた阿倍仲麻呂等が居ます。ただ、彼らに共通していることは、私利私欲はなく純粋に祖国の繁栄という情熱の塊であったと言うことです。

現在の官僚もこの時の青年の志に想いを馳せるべきでなかろうかと思いました。
博物館見学後、総務省を訪ね佐藤総務審議官としばし懇談しました。やはり熊本地震での各自治体からの人員派遣などの対応に多忙を極められていました。

夜は富山県赤坂会館で佐藤氏を含め友人等と久し振りに懇談の機会を持ち、様々な意見を交わすことができたので大変有意義な時間を過ごせました。彼らは其々の分野で活躍をしていますが、伊東マンショの話もしながらエールを送り、更なる活躍を期待し散会しました。

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<国立博物館にて「黄金のアフガニスタン展」と「伊藤マンショの肖像展」を鑑賞>

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<左)佐藤総務審議官と総務審議官室にて>
<右)佐藤総務審議官、高部元消防庁長官、江畑元県総務部長、出口元県総務部長、平沢赤坂会館支配人と富山県赤坂会館にて>



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