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平和、戦争、命の尊さ

8月は1年で平和、戦争、命の尊さを考える月間と思います。8月2日の富山空襲は午前0時36分―1時51分まで75分にわたり、米軍爆撃機B-29が富山上空に飛来し実に12888発の焼夷弾を投下しました。
爆撃平均中心点は富山城址東南の角{かっての時計塔付近}とされました。これにより、市街地は灰じんに帰しました。
罹災世帯2万5千。罹災人口11万人。死者、判明しているだけで2275人、実際は3000人を下らないと言われています。富山市街は、大和百貨店、海電ビル{現、電気ビル}、県庁、NHK富山放送局、昭和会館、興銀富山支店と、残った建物は僅か6カ所だけでした。
当日の爆撃地は、富山、長岡、水戸、八王子、それに川崎石油企業群と5カ所であった出撃したB-29は計858機。内、富山飛来は182機、焦土となりました。

現在、8月1日花火が打ち上げられています。これは、亡くなった人々への鎮魂、慰霊と戦災からの復興の祈りの花火です。これは、長岡も同様です。
また、戦後、軍人には軍人恩給が支給されるようになったし、村山政権当時原爆被爆者援護法が制定されました。しかし、なんの罪もない人々が家を焼かれ、命まで落とした人々には何の保障もありません。
割り切れない思いもします。いずれにしても、無抵抗の市民を無差別に大量殺りくする戦争は絶対やるべきででない。万物の霊長である人間の最も愚かな行為が戦争です。

8月6日、広島に原爆投下、死者十万人。8月9日、長崎に原爆投下、死者7万4千人。8月9日、ソ連軍、日ソ不可侵条約を一方的に破り満州に侵攻。8月10日、14日御前会議でポッダム宣言受諾を決定。
8月15日終戦。玉音放送で終戦を告げました。私から言わせると、終戦と言うよりは敗戦と言うべきでないか。しかし、打ちひしがれた国民感情に配慮したのか、それとも、昭和16年12月8日は開戦としたから、それに対し終戦としたか。私は、わかりません。
8月18日、ソ連軍、千島列島最北端、占守島{シュムシュ島}から千島列島南下、樺太侵攻。8月21日、樺太真岡に侵攻したソ連軍に対し、8人の女性電話交換手自決。8月30日、連合軍司令官ダグラス・マッカーサ元帥厚木基地に到着。9月2日、戦艦ミズリー号上で、日本全権、外相重光葵と大本営参謀総長梅津美治郎無条件降伏に調印。9月3日、連合軍のほとんどが9月3日を戦勝記念日としています。

8月15日、お盆、先祖との対話の時です。13日が迎え盆、16日送り盆です。
私たちは、一人の例外もなく父と母があることによって、この世に生を得た。その父と母にもそれぞれ両親がいます。それをさかのぼっていけばどうなるのか。10世代で1024人。20世代で104万8576人。30世代では10億7374万1824人。40世代さかのぼると、1兆95億1162万7776人。想像を絶せる数になります。
この祖先の命が一回も途切れず今日に生きているのが私の命です。この連鎖がどこかで断ち切れていれば、あるいは別の人に代わっていたら私はここに存在しません。そう思った時、今日自分が存在することは、正に奇跡であり、縁としか言いようがありません。
8月、それは、平和戦争、命の尊さを考える絶好の機会でした。



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