7月8日久しぶりの青空。奈良より京都へ。東山の高台寺近くにある霊山{りょうぜん}歴史館を見学。この歴史館は幕末維新の総合歴史博物館として、明治100年{1968}を記念して昭和45年{1970}開館。我が国唯一の幕末維新ミユージアムです。
収蔵資料は5,000点を超え、常設展、特別展では約100点展示されています。
特に、今年は明治維新から150年で、企画展として昨年秋より「龍馬と西郷隆盛」展、今年に入り、通年特別展として、「大西郷」展、第1期1月3日―3月18日、第2期3月20日ー5月13日、第3期5月15日ー9月2日、第4期9月ー12月として企画されました。
今回私が見学したのは第3期展で「薩長同盟から大政奉還」までです。NHK大河ドラマも「西郷どん」であり、多くの参観者で賑わっていました。ぺリーが浦賀に来航したのは嘉永6年{1863}6月3日。おそらく「幕末」という大きなうねりが音を立てて動き出したのはここからだと思います。
その後、明治元年{1968}まで、わずか15年で265年続いた徳川幕府は瓦解する。江戸から明治へとこの大業を成し遂げ、近代日本の礎を築いた人々の多くは20代、30代の若者でした。
<参考まで、明治元年{1868}当時の年齢>
西園寺公望20歳、陸奥宗光25歳、伊藤博文28歳、山県有朋31歳、後藤象二郎31歳、
板垣退助32歳、徳川慶喜32歳、井上馨33歳、松平容保34歳、木戸孝充36歳、大久保利通39歳、
松平春嶽41歳、西郷隆盛41歳、岩倉具視44歳、勝海舟46歳、
志、半ばで世を去った久坂玄瑞25歳、橋本左内26歳、高杉晋作29歳、吉田松陰30歳、
中岡慎太郎30歳、坂本龍馬33歳、頼三樹三郎35歳、武市瑞山37歳、平野國臣36歳
{満年齢と数え年齢と多少の差あり}
尚、この歴史館の展示品の中には、坂本竜馬を斬ったと伝わる刀や、竜馬暗殺現場の立体模型など興味深い品々に加え、西郷隆盛の書をはじめ、薩長同盟から大政奉還までの多数の資料が展示してあり、内容の濃い企画展でした。
この歴史館の中央の壁面に縦、横、各2メートル位の大きさで、平野國臣の歌が書いてあります。
憂国十年・東に走り、西に馳せ、成敗天に在り、魂魄地に帰す
彼には、もう一つ有名な歌があります。
わが胸の、燃ゆる思ひにくらぶれば 煙はうすい、桜島山
{注}平野國臣{1828-64} 福岡藩士 尊王攘夷の志士..。西郷隆盛が清水寺・成就院住職僧・月照と共に、鹿児島・錦江湾に入水自殺をした時、二人を救い上げたのが彼です。
月照は助からなかったが、西郷隆盛は蘇生した。安政5年{1858}12月20日、上記の歌に幕末、江戸に、京に、大阪に、土佐に,長州に、長崎に、そして薩摩にと東奔西走している志士達の姿や情熱が眼に浮かぶようです。
次に京都国立博物館を見学しました。
今回は、常設展でしたが、新収納展として、重文・「正親町天皇宸翰消息」です。
解説によれば、正親町天皇{1517-93}が正倉院に伝わる有名な香木「蘭奢待」を織田信長{1754-99}が強引に木片を切り取ったあの有名な事件の直後に記され九条稙通に宛てたものです。
また、「ふりよ」{不慮}という文言に、天皇の苦々しい思いがにじみ出ている書簡で堂々たる筆致が感じられる手紙だそうです。
江戸時代の画家・長澤芦雪{1754-99}の「人物鳥獣画巻」など素晴らしい見応えのある作品ばかりでした。
午後サンダーバード号で帰郷しました。
写真は霊山歴史館まえにて。京都国立博物館パンフレット