6月9日{土}―7月29日{日}まで富山県美術館で開催された千住博展を7月28日鑑賞しました。当日は富山で連続16日間真夏日を記録する蒸し暑い日でしたが、翌日が最終日という事もあり大勢の入館者でした。
これは、高野山金剛峯寺襖絵完成記念として企画され、富山での展示が初公開で第一章、全44面の奉納襖絵・障壁画「瀧図」「断崖図」展示室。第二章、瀧神展示室。第三章、千住博のあゆみ1980-2018展示室でした。
正直言って私は千住博の名前と氏の美術館が軽井沢にある程度の知識しかありませんでした。故に、作品を論評する資格はありませんので、会場入口に千住さんの言葉が掲載されていましたのでご紹介します。
高野山の襖絵を描くということ
空海の開創した高野山金剛峯寺の襖絵を描かせていただく、という有難いお話をいただいた。それで色々な本を読み空海を理解しようとした。しかし、読めば読むほどわからなくなった。室戸岬や高野山を訪ね、問い続けても答えは何一つ返ってこない。仕方なく、だったら私は私で好きにしょう。と思うに至り一部屋目は、襖に崖を描き始めた。
しかし、画面に思っていた表情が出ない。今までの経験が全く生きない。何枚も描き直しながら一人でこつこつと胡粉を作って大画面に塗っていた時、このもどかしさは、どこかで経験したことがあると思い出してきた。
それは、藝大に入学して、一番最初に体験した感覚だった。ゼロにリセットし画業を振り出しからやっていると感じた時、これは空海から届いた最初のメッセージなんだという気がした。
次に、瀧にとりかかった。・・・・以下中略
考えて見れば始めから終りまでひたすらうまくいかない画面との格闘だった。まるで絵が自分のなりたいように私を引っぱっていったようだ。今までは、私は年を取らないと感じていた。
少くとも絵を描いている自分は若者だとずっと思っていた。しかし、高野山の襖絵を描き終わり画業のやるべきことは全てここでやり切ったという気持ちになってふと、鏡を見た。そこにいた60歳の私が映っていてしばし愕然とした。
(千住 博)
全文を掲載できませんでしたが、この文章からだけでも氏の襖絵に賭けた意気込みがわかるような気がします。また、ビデオで「崖」と「瀧」の制作風景を見ながら、その描く手法に氏の日本画の新しい可能性を模索する姿を見る思いがしました。
いずれにしても、渾身の思いを込めて制作された襖絵が、世界遺産・高野山金剛峯寺に奉納されるとなかなか見れない貴重な作品でした。特に、ビデオの中で氏は、「千年前に描かれた作品が今でも残っている。その時の素材、手法を基に描いた襖絵も千年のスパーンで描いた」との言葉が特に印象的でした。