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中沖豊、前富山県知事県民お別れの会

音もなし 松の梢の 遠花火  (子規)

7月29日、去る6月24日90歳で死去された中沖豊さんの「県民お別れの会」が県民会館で開催されました。当日は今夏最高37,4度を富山で記録し蒸し暑い日にも拘わらず、県内外から各界の関係者約800人が参列し、6期24年にわたり県政発展に邁進し、富山発展の基礎を築いた中沖さんの遺徳を偲び、ご冥福をお祈りしました。

会場は「ミスター新幹線」中沖さんがこよなく愛したふるさと富山を象徴する立山連峰と富山湾、そして富山平野を疾走する北陸新幹線をイメージし,キク、カーネーションで飾られた祭壇が設けられ、柔和な表情の中沖さんの遺影が掲げられていました。
まさに、故人にとって、最もふさわしい祭壇だったと思います。

式次第は次の通りでした。

1、開式のことば 実行副委員長 森 雅志 県市長会長
2、黙禱
3、追悼のことば 実行委員長  石井隆一 富山県知事、
4、メモリアル映像上映
5、お別れのことば
  綿貫民輔、元衆議院議長
  宮腰光寛、内閣総理大臣特別補佐官衆議院議員
  高野行雄、県議会議長
  久和 進、北陸経済連合会会長
6、弔電奉呈
7、献奏 県オーケストラ連盟特別編成ストリングスによるモーツアルトの「レクイエム」
8、献花
9、遺族代表挨拶  長男 中沖 剛さん
10、閉式のことば  金森勝雄 県内町村会長
11、一般献花

多くの方々から、追悼、お別れ、思い出のことばがのべられましたが、石井知事の「功績は、末永く県史に刻まれ、愛してやまなかった古里の発展を見守り続けてほしい」に言い表されていたと思います。また、メモリアル映像や、会場ホール前の中沖さんの業績を振り返る写真を観ながら私自身、在りし日を懐かしんだ一人でした。
献奏にしても、中沖さんが音楽を如何に愛しておられたかの証と思います。

遺族を代表し長男の剛さんは、「新幹線の開業を生きているうちに目にし、大変喜び、誇りに思っていた。
退任して15年近くたったのに、こんなに多くの方々にご参列頂くと思ってもいなかった」と感謝の言葉を述べられ、「県政に邁進する一方、家族にも深い愛情を注いでくれたとして、自分や二人の弟に残した「運、鈍,、根」の言葉を紹介。
「物事を進めるには、運と鈍感なくらいの辛抱強さ、根気強さが必要という自身の信念を示したかったのでしょう」と語られました。

そう言えば私自身も一度この言葉を中沖さんからお聞きしたことがありました。
また、以前私が中沖さんに「私は大いなる楽観論者です」と話したところ、「それはダメだ。繊細なる楽観論者が良い」といわれました。私の性格を見透かされたような気がし、自分自身の軽率な発言を反省したことがありました。
今回、初めて知りましたが、中沖さんには三人の息子さんがおられます.。名前はご本人は豊さん、長男は剛{ごう}さん、次男は雄{ゆう}さん、三男は陽{よう}さん。如何にも中沖さんらしいです。

式典閉会後の一般献花にも300人もの人々が訪れたという。剛さんの話にもありましたが、知事退任後、15年近く経過しているにもかかわらず、「お別れの会」が開かれれ、多くの参列者があったのも、その功績の大きさと、人徳のしからしむ所以と思います。

ミスター新幹線と共に、ミスター富山だったと思います。

何度か我が家にもおいでになり、色々御指導頂いたことに心より感謝申し上げ、ご冥福をお祈りします。尚、中沖さんのご功績は前回発信した私のブログに記しましたので今回は略しました。

写真は知事初当選直後の昭和56年3月、知事室表敬訪問。当時私は、34歳。他は正橋富山市長や自宅で中尾哲雄氏や大永尚武氏。
そして典子夫人などの思い出の一コマ。

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