10月29日{月}幕末明治福井150年博の①福井県立歴史博物館「幕末維新の激動と福井」②福井市立郷土歴史博物館「皇室と越前松平家の名宝」展を鑑賞しました。
特に、①では初公開の花押付原本で全国唯一と言われる坂本竜馬が村田氏寿に宛てた書簡や、やはり竜馬から中根雪江宛の書簡など、竜馬と福井の関係を示す資料が数多く展示してありました。
また、由利公正筆「議事之体大意」や、橋本左内書簡、小曾根乾堂書幅など初公開の物が多数ある中、横井小楠筆の「国是十二条」井伊家文書のうち「安政大獄処罰案」の中に左内処罰の付札「何より一等重キ方」と記したものなど大変珍しいものも多数展示してありました。
また、坂本竜馬や橋本左内の複製紋服ですが、その着用体験と写真撮影コーナーもあり、私も竜馬になった気分で一枚写しました。
②は福井国体の開催と明治維新の150年を記念して「皇室と越前松平家の名宝」を鑑賞しました。パンフレットによれば、日本が近代へと新たな国の歩みを進めた明治時代、皇室も新たな歩みを始めました。明治維新において大きな功績を残した旧福井藩主松平春嶽{1828-1890}は麝香間祇候として明治天皇に近侍し、華族の重鎮として皇室を支えました。
また春嶽の実子慶民{1882-1948}は大正・昭和天皇に仕え、最後の宮内大臣、宮内府長官を務め、昭和天皇の全国巡幸にも従いました。
{パンフより}
このように皇室との関わりを持つ中で、煌めく明治美術の名宝が松平家に伝わって来たものが公開されたされたのです。
それにしても、越前にも松平春嶽をはじめとして、橋本左内、梅田雲浜、由利公正、熊本から招聘した横井小楠など多彩な人物がそれぞれの立場で活躍しています。
とかく、明治維新は薩摩、長州を中心とした倒幕派と会津などの佐幕派という対立構図で語られるが越前藩のような立場も維新に大きな貢献をしていることがわかります。
それに比べれば、去る10月6日富山市立郷土博物館で「幕末動乱と富山藩」を見ましたが、残念ながら歴史上特筆すべき活躍した人物は、富山藩や加賀藩には余りいないのではないでしょうか。
記録によれば、新政府は慶応4年4月富山藩に対し、加賀藩とともに越後方面に出兵を命じ、これを受け、4個小隊443名、大砲八門によって編成された富山藩隊は、越後に向けて進発、越後各地を転戦し、旧幕府方の奥羽越列藩同盟軍とも戦闘を交えています。
いづれにしても全国各地で開催されている明治維新から150年のイベントも終ろうとしています。