なかや一博 ブログ

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石井県知事訪問

1月17日午後1時石井隆一県知事を知事室に訪問し、以前から紹介していました「未来に伝えたい、薬都とやまの歌」のCDを贈りました。

CDの内容は、すでに何度か内容を紹介していますので省略しますが、

①昭和8年・「越中富山の薬屋さん」
作詞・松原与史郎 作曲・高階哲夫

②昭和11年・「廣貫堂音頭」
作詞・西條八十  作曲・中山晋平

③昭和12年・「富山売薬歌」
作詞・相馬御風  作曲・福井直秋

④昭和28年・富山市が歌詞を全国公募して制作した
「富山家庭薬の歌」作詞‣多木良介 作曲・黒坂富治

⑤昭和43年・「愛のともしび」 東芝レコード制作

の戦前3曲と戦前2曲等を一枚のCDに収録したものです。

知事には事前に訪問内容が伝わっており、会話はスムーズに進みました。
やはり、作詞・作曲者が一流の詩人や音楽家によって作られていることや、音源不明を復元したことなどに驚かれたり、薬業界がいかに富山県の産業界に大きな位置を占めていたかを改めて認識しておられました。

また、今日、富山のくすりが、県内の医薬品総生産額が、全国トップクラスになったのも、1兆円産業を目指す位置になったのも、その原点はやはり配置薬業にあることを話しました。
尚、知事は元気そのものでしたが、一層の活躍を祈念し「六神丸」を贈りました。

その後、厚生部長室に行き、市村仁志厚生部長と同席した木内哲平次長にも同様の話をして、それぞれにCDをお渡しして配置薬業への理解を深めて頂きました。

写真は知事室にてCDを贈る。
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富山シテイエフエム出演

1月14日午後2時10分頃より50分頃まで、北日本新聞社8階にある富山シテイエフエムのスタジオで生放送の番組に出演しました。
話題は以前私のブログで紹介しました「未来に伝えたい、薬都とやまの歌」の CDについてであります。詳細は以前記していますので省略しますが、この1枚のCDに6曲収録されています。

①「越中富山の薬屋さん」昭和8年・作詞・松原与史郎 作曲・高階哲夫
②「廣貫堂音頭」昭和11年・作詞西條八十 作曲中山晋平
③「富山売薬歌」昭和12年・作詞相馬御風 作曲福井直秋
④「富山家庭薬の歌」昭和28年富山市が歌詞を全国公募 作詞多木良介 作曲黒坂富治
⑤「愛のともしび」昭和43年東芝レコード、歌・渚幸子
など6曲です。

戦前三曲、戦後二曲でしたが此の内①③⑤の3曲は音源不明のため、古い楽譜と歌詞から、滑川の女性合唱団「コール・あい」やピアノ・小善由美子さん 濱谷拓也さんの三味線や歌、太鼓、囃子の皆さん 音源収録のサン・ビデオの清水さんなど、多くの方々の協力で復元しCDが完成しました。それらはケーブルテレビでも放映されましたが、復元・収録の動機・目的・その経緯などについての話でした。

要は
{一}この素晴らしい曲をこのまま埋もれさせてはいけない。未来に伝えてゆかねばならない。
{二}このCDを業界の発展に活用できないか
{三}どの曲も作詞・作曲者が一流の詩人・音楽家ばかりである。1企業のコマーシャルソングなのにその作詞・作曲家招いて、知事が歓迎会を開くなど、当時の県内産業界に占める業界の位置が分かると思う。正に、配置薬業界全盛期である。

現在とは同一に比較は出来ないが、そこから何を学び、何を今後の業界発展に生かしてゆくか。それらがCD制作の意義である事を話しました。制作した200枚は薬業関係機関、行政、配置従事者等に配布されました。

丁度、出演前の午後1時30分より薬連ビル6階大ホールで配置薬業部会の全体会議が開催されましたので、その冒頭同様の話をしました。
歴史の中には、未来に花咲く種がある。業界に対しささやかな協力でしたが、このCDが業界の発展に役立つことを願うものです。



阿波加蒼岳氏祝賀会 

筆一本 変幻自在に操りて 墨痕鮮やか 美の世界

1月13日12時より魚津市ホテルグランミラージュで抱山社{大平匡昭会長}による、富山支部長阿波加蒼岳氏の富山県功労表彰祝賀会と併せて富山支部新年のつどいが130名余の多数が出席し盛大に開催されました。
氏は書家として多年にわたり多くの優れた作品を発表されるとともに、関係団体の要職を務める中、後進の指導に当たるなど、書を通して芸術文化の振興に大きく寄与されたことが評価され、昨年秋の表彰になったものです。

祝賀会は、大平匡昭会長の挨拶から始まり、来賓として、石井県知事代理・須河弘美県生活環境文化部長、村椿晃魚津市長等々多くの祝辞の後、阿波加氏に花束贈呈、次いで本人より謝辞がありました。特に、抱山社の皆さんを始めとして多くの人に支えられ、激励、ご支援、ご指導を頂いたお陰であり、今後も微力ながら書道を含めた芸術・文化の振興に努力する旨の力強い謝辞がありました。笹原靖直朝日町町長の発声で乾杯があり宴に入りました。

途中、昨年の主な入賞・入選者の紹介やカラオケなど、和やかな雰囲気でアッという間の2時間でした。最後に、恒例の故・大平山涛先生が好んで口ずさまれたという「北国の春」と「星影のワルツ」を全員が手をつないで輪になって合唱し阿波加氏の更なるご活躍を祈念し散会しました。尚、不肖私は、抱山社富山支部顧問の立場で出席しました。

阿波加氏の略歴及び表彰歴の一部は次の通りです。
1948年滑川市田林生まれ
現在、滑川市美術協会会長・富山県美術連合会常任理事
   抱山社富山支部長 ・富山県書道連盟常任相談役
元・滑川市書道連盟委員長 元・富山県書道連盟委員長

表彰歴 
1994年 毎日書道展毎日賞受章。
1997年 日展初入選。
2001年 富山県展大賞受賞。
2005年 創玄展準大賞受章。
2006年毎日書道展会員賞受賞。
2010年には滑川市主催による阿波加蒼岳書展を開催され、迫力ある超大作から情緒豊かな多くの作品を発表され阿波加芸術の粋をたっぷりと堪能させて頂く機会もありました。
この様に、現在でも各種団体の重責を担い活躍しておられます。

写真は、冒頭挨拶の大平匡昭会長と謝辞の阿波加蒼岳氏
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世界に羽ばたく薬都とやま大会

1月9日{木}午後2時30分より主催{一社}富山県薬業連合会による標記の大会が富山パレプラン高志会館で200名を越える多数が参加し開催されました。
第一部、主催者中井敏郎薬連会長挨拶に続き、薬事功労者表彰として県知事表彰3名、薬連会長表彰8名の表彰がありました。次いで、知事表彰を受けられた森田清秋氏が受賞者を代表し謝辞を述べられたあと、知事代理の市村県厚生部長より祝辞がありました。

その後、この度1枚のCDに5曲の富山売薬の歌
①昭和8年作詞・松原与史郎 作曲・高階哲夫
「越中富山の薬屋さん」
*高階は札幌時計台を歌った「時計台の鐘」の作詞・作曲をした人です。

②昭和11年作詞・西條八十 作曲・中山晋平
「廣貫堂音頭」

③昭和12年作詞・相馬御風 作曲・福井直秋
「富山売薬歌」
相馬は早稲田大学校歌「都の西北」や「カチューシャの唄 等々を作詞し福井は上市町出身の音楽家で武蔵野音楽大学の創始者であり初代学長でもあります。

④昭和28年作詞・埼玉県の多木良介 作曲・富山大学教授黒坂富治
「富山家庭薬の歌」
*富山市が歌詞を全国公募し作られたものです。

⑤昭和43年「愛のともしび」

の5曲から①と③の2曲をCDの収録に出演して頂いた滑川の女性合唱グループ「コール・あい」代表・高木悦子さん ピアノ・小善由美子さん総勢18名で歌って頂きました。

いづれも音源不明のため、古い楽譜と歌詞から起こして、さぞかし苦労が多かったと思います。最後に、「会津磐梯山」が披露されました。
CDとは違い、生の声には迫力があり大きな拍手が起きました。改めてCDに携わって者として大変良かったと思いました。
この様に超一流の詩人や音楽家によって作られた当時の業界は正に全盛期であった。それはなぜか 今の我々はそこから何を学ぶのか、そしてそれを未来に伝えてゆく中で、このCDをどの様に生かしてゆくかを考える機会になれば幸いと思います。

第一部終了後、製薬企業を対象として「医療現場ニーズを捉えた製剤技術展開による医療貢献」と題し、(株)NBMプランニング代表取締役社長、熊本大学客員教授、熊本大学薬学部先端薬学教授の菊地正彦氏による講演。また、配置・一般対象として「ぼける生き方、ぼけない生き方」と題し、{特非}日本成人病予防協会専務理事・安村禮子氏の講演が2会場に分かれ開催されました。

私は、配置の方に出席しましたが身近なテーマであり一同熱心に聞き入っていました。終わりに、この大会が開けるのも、富山県の医薬品総生産額が全国1-2位を争う位になったのも、やはり「富山のくすり」原点は置き薬、すなわち売薬にあることを改めて感じました。

写真は「コール・あい」の皆さん
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薬神神社歳旦祭

1月8日、恒例の薬神神社歳旦祭{主催・石倉雅俊奉賛会会長}があいにくの雨の中、関係者約30名が集まり横川宮司のもと厳粛な中にも滞りなく行なわれました。
当日は天候不順の為、社務所の中から薬神神社に向かって祝詞奏上、玉串奉奠などが行われました。

来賓は、市より藤田産業民生部長、原市議会議長、大門県議会議員、杉田商工会議所専務理事、
澤崎加積雪島神社総代等を始め、配置販売業者、市内製薬会社など順次玉串を捧げ1年の商売繫盛、家内安全を祈願しました。
引き続き直会に移り、石倉会長挨拶、来賓の祝辞などの後、懇談に入りました。
昨年の出来事や今年の抱負をそれぞれが語り合う中で、薬神神社の祭神が誰であるか知らずに参拝したいる、などの意見が出たことから、石倉会長から、神社の由来を記した立て看板を設置することが提案され了承されました。

参考まで、祭神は、神農、少彦名命、大己貴命の3体が合祀されています。
昭和31年10月8日建立。

写真は玉串奉奠する本人
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