なかや一博 ブログ

月別アーカイブ: 2024年5月

第4期皇居三の丸尚蔵館展

みがかずば 玉も鏡も何かせむ 学びの道も かくこそありけり  昭憲皇太后

スポーツの秋、食欲の秋、芸術の秋、こんな言葉はもう死語になりつつある。スポーツでは、今年は特にパリ五輪出場の予選があり、加えて、大相撲、そしてプロ野球や大リーグの大谷フィバーなど一年中スポーツ番組がテレビで放送されている。
食べ物も、いちご、スイカ、メロンなど栽培技術の向上により、年中何でも食べれる時代で季節感も失われてきている。芸術にしても、秋に限らず年中各地の美術館や博物館で企画展が開催されている。しかも以前なら、大都市でしか鑑賞出来なかった企画展も、今や地方都市でも頻繁に開催されるようになったことは有難いことである。

5月23日上京の折、皇居三の丸尚蔵館の名品展を鑑賞した。これは、「―皇室のみやび―受け継ぐ美ー」のテーマのもと、昨年11月3日から今年の6月23日まで4期に分け、1期は「三の丸尚蔵館の国宝」2期は「近代皇室を彩る技と美」3期は3月に鑑賞した「近世の御所を飾った品々」で今回は4期「三の丸尚蔵館の名品」である。
残念ながら1期は見逃したが、2-4期は鑑賞した。入館は事前申込制で、入館料は大人千円である。しかし、70歳以上の証明書を提示すれば無料である。国立美術館や博物館など高齢者であっても無料の施設はないと思う。さすが宮内庁である。

さて、皇室は、我が国の長い歴史の中にあって、いつの世においても、様々な形で我が国の芸術文化に接してきた。古くは、奈良時代、光明皇后が聖武天皇の供養のために東大寺盧舎那仏に奉納された正倉院宝物、平安時代の華やかなりし12世紀の後白河法皇の蓮華王院宝蔵、江戸時代初期の後西天皇以降の東山御文庫など、文化史上に残された歴代にわたる皇室の足跡は数多くある。

そして、明治維新後も、古美術品の保護や新しい文化振興のためにも尽力され、帝室博物館の建設などもあって、国民に広く文化を普及させることにもなった。これらのことから、国内外から多くの優れた美術品が集まる事になった。これらの品々は宮殿など公式の場の装飾品などとして主に使われ、天皇陛下・皇族方が身近で私用になるほか,帝室博物館建設後には、博物館での展覧にも供されていました。

御物と称されたこれらは、用途によって分散管理されていました。戦後、それまで御物であった法隆寺献納宝物の大多数が国有となり、東京国立博物館へ移管されたほか、正倉院宝物や書陵部所管の品々も国有となって宮内庁で管理されるなどの整理が図られましたが、なお一部は御物として残され、侍従職で管理されてきました。

平成元年{1989}6月、上皇陛下及び香淳皇后は、昭和天皇まで代々皇室に受け継がれてきた御物の中から、約6千余点の絵画、書、工芸品などを、国へ寄贈された。これらの寄贈品は、一括して宮内庁で管理することになったが、優れた美術品が多く含まれているため、その保存管理に万全の策を講じるとともに、広く国民に公開するために、専門の建物、組織を設置することになり、建物は平成3年{1991}1月着工、同4年{1992}8月竣工、三の丸尚蔵館と名付けられ、ここに作品を収蔵することになった。

同5年{1993}11月3日より一般公開が始まった。その後平成8年{1996}に旧秩父宮家からの御遺贈品が、平成13年{2001}には香淳皇后の御遺贈品が、同17年{2005}には旧高松宮家からの御遺贈品が、さらに同26年{2014}三笠宮家からの御遺贈品が加わりました。収蔵品には、平安時代の書の逸品、「粘葉本和漢朗詠集」「金沢本万葉集」鎌倉時代の絵巻「春日権現記絵」「蒙古襲来絵詞」のほか狩野永徳筆「唐獅子図屏風」。狩野探幽筆「源氏物語図屏風」。伊藤若冲筆「動植採絵」。近代では横山大観、下村観山、並河靖之、高村光雲らの作品など、各時代を代表する貴重な作品が数多く含まれています。

三の丸尚蔵館の建物は、これらの貴重な作品を恒久的に伝えていく為の保存を重視することから、温湿度管理のできる収蔵庫を備え、一部を展示室として公開しています。

尚、館名の「尚蔵」は古代律令制において蔵司{くらつかさ}の長官{くらのかみ}をさし、大切に保管するという意味と、建設場所が旧江戸城三の丸の地であることから名付けられました。
主な収蔵品は前述した美術史的、歴史的に高い評価を得ている作品や、京都御所伝来の超一級品の品々ばかりで、現在約2万点の作品を収蔵している。いづれも皇室の長い歴史と伝統の中で培われ、伝えられてきた品々でした。

写真は、国宝・狩野永徳筆「唐獅子図屏風」右隻。国宝・伊藤若冲筆・動植綵図「老松孔雀図」。横山大観作6曲一双「朝陽霊峰」左隻の富士。

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第67回東京滑川会総会

足首を 払いて通る 花しょうぶ 一茶

5月18日{土}午前11時より東京滑川会{会長・土肥正明}総会・懇親会が大手町サンケイプラザ3階で約80名の参加を得て盛大に開催されました。当日は都内の最高気温28,8度の夏日で、全国633地点で夏日、55地点で真夏日、236地点で今年の最高気温を記録するなど、まだ5月なのに7月初旬の暑さとなった。
ただ、都内では頬をよぎる風は薫風のようなで、人一倍汗かきの私にとってはむしろ心地良かった。

さて、総会は土肥会長挨拶から始まり、来賓の水野滑川市長、飯田県首都圏本部長、東・東京県人会専務理事等が挨拶。また、昨年秋、叙勲の栄に浴された日本レスリング協会名誉会長・福田富昭氏{滑川高校出身}に花束の贈呈のあと、8月開催されるパリ五輪に重量挙げで出場する村上英士朗選手と妻の里佳子さん夫婦が紹介され、壇上に上がると会場は騒然となりました。
二人共滑川高校出身で、しかも同じ重量挙げ部に所属し、奥さんが1歳年下で昨年秋結婚したそうです。奥さんも高校時代は、全国高校選抜女子75kg級で1位や全国高校女子選手権75kg級2位など輝かしい成績を納められています。

滑川高校出身で、五輪出場者は昭和35年ローマ大会レスリングの石倉俊太氏、昭和39年東京大会レスリングで銅メダルを獲得した堀内岩雄氏、平成30年韓国平昌冬季五輪スノーボードの広野あさみさん以来4人目です。
しかも、富山県勢として重量挙げでの出場は初めての快挙です。村上選手の出場内定の報に接した時、同窓会長として祝電を送りましたが、私の顔を見て、祝電のお礼を言われたのには少々驚きました。多

分多数の祝電があったと思いますが、どうして私が同窓会長と判ったのか、と質問したところ、入学式や卒業式、同窓会入会式などで私の顔を見ているし、お話も聴いていたので知っていた、と応えました。それを聞いて何だか嬉しくなりました。本人への質問コーナーがあり、村上選手の体重は力士並の150㎏。奥さんも立派な体型で、二人の一日の食事代は1万円には会場からため息が漏れました。

私は彼にパリ五輪での活躍を期待すると共に、いつの日か、バーベルに替り滑川を持ち上げてほしい旨話しました。彼はお礼の挨拶で皆さんの期待に応えるよう一層練習に励み頑張る旨、力強く決意を述べられました。話をしていると温厚な性格のように思われますが、235㎏もどうして持ち上げるのか、驚きます。
村上選手は先の東京五輪の代表選考で落選を味わったその悔しさをバネに練習を積み重ね、足首の怪我なども克服しながら五輪の切符を掴んだこの勢いで活躍してくれるものと思います。余興では、上市町出身寺崎美幸さんの民謡ショーや会員による新川古代神踊り、おわら節、じゃんけんゲームなど盛り沢山の内容の2時間半余りでした。

最後に、尾崎滑川市議会議長より東京滑川会へ、双方のエールの交換があり閉会となりました。いつも思うことですが、「滑川市の歌」を歌うと生まれ育った滑川へ思いを馳せ、「故郷」を歌うと早月川や加積平野、そして蛍烏賊を思い出す。東京―富山間僅か2時間余りで結ばれた今日でも「故郷」は人々の心の拠り所として、いつまでも生き続けていることを改めて感じました。

村上英士郎さんの競技略歴 平成7年{1995}8月生まれ。
高校時代 全国高校総体・男子105kg級・1位。国民体育大会・同1位

平成26年{2014}4月・日本大学理学部体育科入学。
同年・10月国体成年男子105kg級2位。 C&ジャーク202kg ジュニア日本新。 全日本学生新人大会2位。 スナッチ170kg トータル370kg ジュニア日本新。

平成28年{2016}7月・全日本選手権105kg級2位 トータル389㎏ 大学新記録。
平成29年{2017}全日本学生個人選手権、105kg級 優勝
平成30年{2018}3月・全日本学生選抜選手権 105kg級 優勝
平成30年{2018}4月銀盤酒造入社。
平成31年{2019全日本選手権優勝日本新。世界選手権109kg級12位、。 C&ジャーク230㎏ トータル415㎏ 日本新。
IWFワールドカップ109kg超級 優勝。トータル416㎏ 日本新。

令和2年{2020} (株)「いちご」に所属を変更。
新型コロナ感染症で各種大会中止。

令和3年{2021}アジア選手権 スナッチ 日本新。
コロンビアオープンシニア選手権109kg級 優勝。
全日本選手権 109kg級 優勝。
スナッチ191㎏ C&ジャーク233㎏ トータル423㎏ 日本新。

令和4年{2022}全日本選手権 優勝。 国民体育大会 優勝。
令和5年{2023} アジア選手権 8位。 世界選手権 11位。
令和6年{2024} アジア選手権 5位。などである。

写真は、挨拶する土肥会長。村上英士郎さんと里佳子さん夫婦。

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再会-2

17日夕、今度は元経済産業省より富山県商工労働部長として出向され、その後本省に戻り審議官等を務め、現在、全国中小企業団体連合会専務理事として活躍しておられる佐藤哲哉氏と経済産業省に長く務め、省内の県人会長を務められた前・内閣官房内閣審議官の間宮淑夫氏{富山市出身}と久し振りにお会いし3人で懇談した。

佐藤氏とは、円安、株高、物価高、中小企業を取り巻く環境などが話題になった。特に間宮氏は、政、官、民、に幅広い人脈をお持ちの方で、話題も豊富で圧倒されそうになった。
又、氏は和服の似合う方で当日も和服であった。海外出張でも和服であり、難しい交渉でも和服によって、会場の雰囲気が和み交渉がスムーズにいったことや、外国人には和服が珍しく、よく写真撮影を求められたことなど、国際色豊かな話題ばかりで、私にとっては実に有意義な懇談会であった。

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再会ー1

5月18日開催の東京滑川会出席の為、前日の17日上京した。
まず17日昼大宮駅で下車し、36年前ヨーロッパへ行政視察に参加した30名の内、気の合ったメンバーが「5人会」と称し、今日まで交流が続き、私が上京の折時々会っている。
今回はあいにく一人欠席で4人あった。南浦和駅に集合し昼食会で懇談した。私以外の3人は2人は中学校校長、もう一人は財務省幹部で定年を迎え方で、話に花が咲き、次回は富山で会うことを約し散会したが、36年の長い間よく続いているものと、我ながら感心する。

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令和6年薬神神社春季例大祭

今日 何も彼も なにもかも 春らしく  稲畑汀子

5月8日低気圧による寒気が流れ込み、気温12℃しかも小雨が降る肌寒い中、北海道滝上町の見頃の芝桜に2㎝の雪。5月の雪は13年ぶりという。その日に、恒例の標題の例大祭{主催・薬神神社奉賛会・会長石倉雅俊}が執り行われた。当日はあいにくの荒天の為、神社横の社務所より神社に向かっての遙拝参拝になった。

横川宮司による祝詞奏上、次いで石倉会長始め、私を含め薬業関係者に続き、水野達夫滑川市長、杉田隆之・市商工会議所専務理事等順次玉串奉奠を行い、商売繁盛、交通安全などを祈願した。石倉会長は挨拶で、能登半島地震にも触れながら、困難な時こそ一致団結して乗り越えようと呼びかけられた。

引き続き能登半島珠洲市を回商している業者から、珠洲市の4月末の現状について報告がありました。
道路は一部開通していたが、水道は未だ70-80%断水、全壊家屋や半壊家屋も1月テレビで見た状態と殆ど変わりなく、車中泊や納屋,或は半壊家屋の一間で生活している人、なかなか進まぬ被災者住宅の建設など、本当に悲惨な状態であることをを話されました。

次いで、水野市長から,自身は近く珠洲市へ1市民としてボランティア活動で行く。活動の中で現地の人々は、今、何を必要としているのか。など含め実情を見てきたい。と述べる中、今後とも業界の振興に尽力する旨話されました。又、司会者より私に指名がありましたので、去る5日琵琶の会で話したのと同様、「こいのぼり」の話をしました。

私が子どもの頃、風になびく「こいのぼり」をあちこちで見た・しかし、時代の変化で「こいのぼり」は「5月人形」に変わってきた。これは典型的な時代の流れに対応したものである。

昭和6年{1931}作られた「こいのぼり」。「屋根より高い こいのぼり 大きな真鯉はお父さん・・・・」の歌は94年経った今日でも、色褪せることなく、何の抵抗もなく今尚、保育園や幼稚園で歌われている。つまり、時代の変化と共に変わって行くもの、変えなければならないもの、変えずに残さなければならないものがある。時代の流れに対応したのが「5月人形」であり、変ることなく続いているのは「歌」である。

これは時代の変化に対応する者は、生き残るであろうし、逆は自然淘汰される。これが「不易流行」世の常で在り配置業者の方々に一層の奮起をうながしました。

写真は、社務所から見た薬神神社、玉串奉奠の水野市長。私。

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