なかや一博 ブログ

月別アーカイブ: 2024年12月

今年最後の上京

一年を 包む風呂敷 歳忘れ

12月18日{水}全弓連評議委員会出席のため、一週間前の理事会に次いで、今年最後の上京した。18日は11日同様家を出る時は、荒天だったが東京は快晴であった。いつもは、美術館や博物館に行くのだが、今回は快晴のお天気ゆえ初めてスカイツリーに行った。東京駅から地下鉄丸の内線で大手町駅で半蔵門線に乗り換え押上駅で下車。

さて、このタワーは2012年東京タワーに代わって、都内をはじめ、関東全域のテレビ・ラジオの電波を送信するデジタル用の電波塔として2008年7月着工、2012年2月29日竣工した。この地は東武鉄道貨物ヤード跡地でそこを活用した。建築家の伊東豊雄氏の設計、建築デザイン安藤忠雄氏と彫刻家澄川喜一氏監修によるものである。

高さは東京タワーの333mに対し634mで、世界で一番高い塔としてギネスで世界記録に認定された。また、かってこの地は「武蔵の国」とよばれたことから、むさし{634m}になったという。そのアイデアを考えた人は大したものだと思う。地上350m地点では展望台「展望デッキ」、450m地点には「展望回廊」が設けられていた。総工費は12年前で約400億円。
大谷翔平選手は10年間の契約金額が1015億円。タワーが2基以上建設出来ることになる。そう考えると大谷選手はやはり凄い。また、この建設に,関わったのは、延べ58万人と言われる。技術革新が進んだ時代においても、最後は人の手で一つ一つ築き上げられたという。

東京タワーの4分の1の激狭地に建設する難工事を僅か3年半で建設したというから凄いの一言である。幸い当日は快晴のお天気ゆえ、東京タワー、東京ドーム,皇居、隅田川、荒川、東京湾から房総半島、そして富士山など眼下に見下ろす景色は最高であった。
地上から350m地点までエレベーターで僅か50秒たらず。このタワーの建設には県内のアルミ関係の企業の技術も生かされているという。450m地点の「展望回廊」までの入場料は3500円。高いか安いか、その人の満足感であろう。話のネタに一度は行って見るべきと思う。参考まで世界一高い建物は、中東ドバイにあるブルジェ・ハリファで高さ828mである。

午後、全弓連評議委員会に出席し夕方厚労省のメンバー8名と久しぶりの懇談会を開催した。中山審議官の乾杯で懇親に入って和気あいあいに2時間余楽しいひと時を過ごしました。また、帰り、わざわざ私のホテルまで送ってくれたのには恐縮しました。

翌日、総務省に新田審議官を訪ねました。国会開会中にも関わらず30分程懇談の時間を割いて頂いたのにはこれも恐縮しました。今年の余白もあとわずか。お互い来年はよき年であるよう念じ別れました

写真は、スカイツリー前と451mの「展望回廊」と富士山を望む。厚労省メンバー。総務省にて新田審議官と。

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第9回長岡すみ子の会

12月15日{日}午後4時から、富山市のオーバードホール・中ホールで恒例の、民謡,唄と踊りの祭典・歳末恒例のチャリティーショーが会場一杯に埋め尽くした来場者を迎える中、今年で9回を数え、今回は「能登半島地震からの復興に向けて」と題し、盛大に開催されました。

前日の自衛隊演奏会に引き続いて、2日間連続で音楽に親しむ機会でしたが、吹奏楽と民謡と言った全く違った分野であり、それなりに楽しみました。

実は長岡さんと私の妻が滑川高校時代の同級生と言う縁もあり、日ごろから親しくお付き合いをしている仲です。さて、ショーは7部構成からなり、
第一部 オープニングは「能登半島への思いを載せて」

 ・兼六園松づくし ・珠洲山曳唄 {踊り付き} 唄・長岡すみ子 唄いつぐジュニアたち
 ・新川古代神 {踊り付き} ・チャグチャグ馬子・南部茶屋福し
 ・越中おわら節 ・三条凧ばやし{踊り付き} おはこ集 {会の皆さん}
 ・津軽甚句 ・長崎のんのこ節{踊り付き}
 ・珠洲起舟祝い唄 ・伊勢音頭
 ・立山木挽き唄 ・麦屋節 ・津軽たんと節 ・秋田大黒舞{踊り付き}

ゲストコーナー1 津軽の響  津軽三味線の椿俊太郎 {高岡市出身}
 ・津軽じょんがら節 ・津軽よされ節、
  津軽あいや節を椿さんの三味線で長岡さんが声高らかに唄い挙げられました。

ゲストコーナー2 妖艶 紋もよう  加賀山 紋{あや}
 ・越中おわら節 {踊り付き} ・恋路舟唄 ・能登麦屋節 {踊り付き}  
 ・こきりこ節・津軽小原節 {踊り付き} 津軽三味線・椿俊太郎

長岡すみ子コーナー オリジナル演歌集
 ・能登・岬にて ・お小夜雪慕情 {踊り 筏井豊華翔} 民謡 にしひがし
 ・長崎ぶらぶら節 {踊り付き}ー長崎さわぎ ・十三の砂山 {山唄入り}
 ・秋田荷方節 三味線・椿俊太郎 ・帆柱起こし祝い唄

グランドフイナーレ
 とやまいきいき音頭 全員
 踊り 筏井豊華翔と華の会他 ・三味線・椿俊太郎他多数 ・琴・桂 博子
 尺八・坪内隆悦・伊藤寿美隴 ・胡弓・加賀山紋・伊藤寿美隴・鳴り物 同左

以上、30曲余り熱演が繰り広げられました。唄あり、踊りあり、津軽三味線あり、内容の濃い3時間あまりでした。

特に、ゲストの加賀山 紋さんの父親が、長岡さんの師匠で現在金沢在住の民謡歌手加賀山 昭さんです。加賀山さんの実家が珠洲市にあり、今回の能登半島地震で大きな被害が出たと言う。

紋さんが唄う前に、その話をされた時には、うっすらと涙ぐむ時もありました。また、馳知事より、正月に珠洲市で民謡を唄って、珠洲市民に元気をつけて欲しいと要請され、楽しみにしていることなど話されると、会場から大きな声援がありました。

津軽三味線の椿俊太郎さんは高岡市出身の美男子で25歳とのこと。撥サバき、音色どれをとっても迫力満点です。二胡,琴、琵琶、三味線など弦楽器は数多くありますが、迫力において津軽三味線の右に出るものは無いような気がします。正に圧倒されました。

尚、津軽三味線5大曲は、津軽じょんがら節。津軽よされ節。津軽小原節。津軽たんと節。津軽さんさがり。です。

また、「おはこ集」で麦屋節を唄った扇浦遥雅 {はるか}さんは去る9月16日開催された全国麦屋節大会で優勝され、また、11月3日全国民謡民舞大会・青成の部で「布施谷節」を唄い準優勝に輝かれました。この様に後継者も立派に育成されていることに感心します。

また、休憩時間に会員が会場を回って集まった善意の募金額が25万9409円で能登半島地震で被害のあった能登地方と氷見市に贈呈されることが発表されました。
長岡さんの衰えぬ美声と、いつもながらのバラエティーに富んだ内容。社会貢献への変わらぬ思い。十二分に満足した3時間余りでした。

最後に全員がホワイエで来場者を見送ってくれましたが、長岡さんと再会を約し別れました。

写真はパンプレット。椿さんの津軽三味線で唄う長岡さん。フィナーレ。

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自衛隊演奏会

12月14日{土}午後5時より、富山市のオーバードホールで、陸上自衛隊中部方面音楽隊による5年ぶりの演奏会が「ミュージックフエスタ2024inTOYAMA」が「震災からの更なる復興を祈念して」と題し開催されました。

第一部は
①喜歌劇「こうもり」序曲  j,シュトラウス二世
②行進曲「グリッドアイアン・クラブ」 j,P,スーザ
③ウインド・イン・ザ・リード P、スパーク
④『ラ・ボエーム』より「私の名前はミミ」G、プッチーニ 歌・ソプラノ・浜野萌々子
⑤トウベルナルトの聖なる泉 八木澤 教司

第二部
①ドリームナイト・クリスマス・パレード
②ニュー・シネマ・パラダイス E,モリコーネ 
③雪の華 松本良喜 歌・ソプラノ 濱野萌々子
③クラリネット・サンドイッチ 岩井 直博
④合同ステージ 「情熱大陸」編曲・天野 正道
 音楽隊・県立氷見高校吹奏楽部・氷見市立北部中学校吹奏楽部

アンコールとして、合同で行進曲「星条旗よ永遠なれ」など演奏されました。

どの演奏にしても,隊員50名をこす大演奏であり、楽器の種類も私などには数え切れない多さであり、迫力満点であった。特に演奏に合わせ2曲・ソプラノで歌われた濱野さんの歌声も素敵でした。

また、氷見高校と氷見北部中学校の生徒にとっても、めったにない、レベルの高い自衛隊の皆さんとの合同ステージはよき思い出になったと思います。
しかも、「震災からの更なる復興を祈念して」のステージに、大きな被害が出た氷見市の高校と中学が出演したことも意義あることだったと思います。

私達は、自衛隊と聞いただけで、軍隊 戦争を連想しますが、戦後80年戦争に巻き込まれず平和を維持できたのも、独立国家としての外交努力とともに、国力に応じた必要最小限の軍事力を保持していたからだと思います。
もし、警察官や警察署が必要で無く、戦争もない世界を誰しもがそう願う。しかし、万一泥棒が侵入したら、犯罪が発生したら誰が市民の安心、安全を守ってくれるのだろうか。それと同様、万一わが国が他国から侵略されたら、誰が日本を、そして国民の生命・財産を守ってくれるのだろうか。

音楽隊の指揮を執られた伊東隊長は、「こうして音楽会開催している時でも、日本の陸、海、空を24時間、365日守り続けている」。との話には説得力があった。平和は天から降ってくるものでもなければ、地から湧き出るものでもない。これらの人々の努力がある事を忘れてはならないと思う。
災害の復旧復興に果たしている事にも感謝しなければならない。

素晴らしい音楽会であったと同時に自衛隊について考える機会でもあった。

写真は、オーバードホールでの演奏会

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久し振りの上京

嬉しやと 二度さめて一眠り 
      浮世の夢は 暁の空  家康辞世の句

12月11日{水}全弓連理事会で上京した。当日の朝、雨模様のため玄関を出る時、自然とブーツに手が伸びた。待て、今日の天気予報は東京は晴れである。思わず革靴に切り替えた。

案の定東京は快晴であった。西高東低の気圧配置の通り、日本海側は荒れ模様、太平洋側は好天である。東京駅に着くなり、皇居三の丸尚蔵館へ直行した。尚蔵館に関しては、以前詳細に記していますので略しますが、今回の企画展は「公家の書―古筆・絵巻・古文書」「皇室の美術振興・日本近代の絵画・彫刻・工芸」と題し,書の優品と御買上の近代美術の競演であった。

特に、今回出展してあった国宝「金沢本万葉集」は1910年{明治43年}明治天皇が東京本郷の前田邸を行幸した際、16代当主利為{としなり}によって献上された金沢本と呼ばれるものである。
巻2の大半と巻4の一部を合作した粘葉紙の冊子で料紙は和製の唐紙といわれ筆勢の強い変幻自在の筆跡と解説してありました。11世紀中頃の藤原定信筆と伝えられる作品ですが、私には全く読める訳もなく、暫し立ち止まって眺めるだけでした。

それにしても、近代の皇室は同時代の美術に対する保護奨励に大きな役割を果たしたと思う。
例えば、国内の博覧会や展覧会への行幸啓の折は、新聞や雑誌を通して広く報じられたりしました。また、出品作品の購入は侍従を差し遣すなど宮内省を通じて行われたため「宮内省買上」と呼ばれ、作家たちにとって名誉なことであり、今回の企画展にも、明治時代から昭和時代にかけて国内の博覧会や展覧会に出品され、皇室の御買上となった日本画・洋画・彫刻・工芸などであり、その中には、その作家の出世作となったものや、後世の代表作になった作品も多くあるという。美術には無知な私ですが、心癒されるしばしの時間でした。

それにしても、12月半ばと言うのに、皇居内のイチヨウは盛りを過ぎたとはいえ、まだ眺められました。今年の紅葉時期は、やはり温暖化の影響で昨年より10日から2週間ほど遅いそうです。しかし神宮外苑のイチヨウ並木は完全に落葉していました。同じ都内でも随分違うものです。

さて、江戸城の中心は本丸です。この本丸に江戸時代初期、約50年の間に、慶長12年{1607}慶長の天守完成。元和9年{1623}元和の天守完成。寛永15年{1638}寛永の天守完成。三度建て替えられた。しかし、明暦3年{1657}の大火で江戸の大部分が焼失。この時,天守も本丸御殿など江戸城の大半が焼失した。

だが大火の翌年万治元年{1658}4度目の再建計画が建てられ、加賀藩が担当して天守台まで再建されたが、軍事上無用な天守より、町の復興を優先させたといわれ、以後、天守は再建されることなく、同じ本丸の南にある富士見櫓{現存}が天守の役割を果たし江戸時代を終え、今日に至っている。

午後、全弓連理事会に出席し夜帰宅した。日帰りの強行日程であったが久し振りの上京で、歩いた歩数も約1万7千歩と日頃の運動不足解消に繋がったかも・・・・

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色紙・贈呈

幾山河 越えて叙勲・金婚丘に立ち
        夫婦で歩む 米寿への道  一博の詩

11月24日、石井隆一前知事と志保子夫人の叙勲祝賀会に出席した折、駄作として詠んだ一首を山岡寿海さんに揮毫して頂き、石井さんに差し上げました。

前回のブログでも書きましたが、春の叙勲で石井前知事は旭日大綬章、夫人は瑞宝中綬章と夫婦でダブル受賞と中々ない栄に浴されました。しかも、今年はご夫婦にとって結婚50年、金婚の佳節の年でもあることから、朝日町の春の四重奏ではありませんが、石井家の春の三重奏と思います。そんなことで駄作と知りつつプレゼントした次第です。

本人は大変お喜びになりました。特に、お元気で、この調子なら88歳までは元気で活躍できることを、私が保証して事務所を後にしました。

写真は、12月2日、富山市内の(株)石井アソシエイツ事務所にて。

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