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馬場家・森家を訪ねて

降り積もる 深雪に耐えて色褪せぬ 松ぞ雄々しき 人も斯くあれ 
(昭和21年1月 歌会始めにて 昭和天皇御製)

1月16日から一般公開された富山市東岩瀬町の馬場家を見学した。その折馬場家の隣の森家、それに県民会館美術館でやはり16日から開催された特別展「ミイラ」を鑑賞した。
今回は、馬場家について記す。パンフレットによれば、「当住宅は、明治6年{1873}の大火の後、以前の部材を用いて建てられたと考えられています。東岩瀬町の中でも最大規模の住宅です。敷地内には主屋のほかに三階建ての前蔵・壱番蔵・弐番蔵。二千石の広大な米蔵。西門及び西塀が現存し、廻船業が盛んであった当時の面影が残っています。

岩瀬が生んだ海の豪商==道正屋・馬場家
馬場家は、江戸後期から活躍した北前船主・廻船問屋の家です。屋号は「道正屋{どうしょうや}で、道正村{現・富山市道正}より移り住んだことに由来します。
当家は19世紀前半、7代当主久兵衛の頃より、北前船交易を活発に行い、隆盛の礎を築きました。明治中期、8代当主道久のとき、北前船から汽船経営に舵を切り、明治36年{1903}には馬場合資会社を設立。近代的な海運業者へと成長しました。
また、他分野においても、銀行の設立など富山の産業振興に貢献しました。当家は「岩瀬五大家」の筆頭に挙げられ、北陸の「五大北前船主」のひとつにも数えられています。

富山の教育を発展させた馬場はる
馬場はるは、下新川郡泊町{現在の朝日町}の旧家、小沢家の生まれです。15歳のとき、8代当主道久の息子、大次郎{のちの9代当主道久}の妻となりました。
大正8年{1919},夫が亡くなり、当時33歳だったはるは若くして一家を支える立場となりました。
はるは、馬場家を守ると同時に、先代の遺志を継ぎ、社会貢献も積極的に行いました。なかでも特筆すべきなのが、旧制富山高等学校{現在の富山大学人文学部・理学部}設立のための寄附でした。寄附金は総額で160万円{現在の10~20億円程度}にも及びました。
このほかにラフカディオ・ハーン{小泉八雲}旧蔵書も同校へ寄附しており、現在も「へルン文庫」{富山大学附属図書館内}として広く活用されています。
高校は大正13年{1924}に開校され、翌年現在の富山市蓮町に新校舎が完成しました。跡地は現在馬場記念公園となっています。
廃校となる昭和25年{1950}までの卒業生は約3300名で、様々な分野において活躍する優秀な人材を多く輩出しました。

以上パンフレットより抜粋。

馬場はる{1886~1971}は15歳で嫁入りし、33歳で夫に別れ、女手一つで経営者として、また、家庭にあっては母としての苦労は筆舌しがたいものであったと思う。その苦労が報われ、昭和36年{1961}富山市名誉市民に推戴され、昭和46年{1971}85歳で天寿を全うされた。
馬場家は平成26年{2014}富山市に寄附され、内部調査が行われ、その後改修工事を終え今回の公開になった。
尚、平成28年8月国の登録有形文化財となっています。いずれにしても私があれこれ説明するよりも「百聞は一見に如かず」北前船全盛期の廻船問屋馬場家は隣りの森家と共に一見の値はあると思う。

馬場家の庭園の雪の中の松の木を眺めていると、ふと、冒頭の昭和天皇の一首を思いだした。

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