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富山大空襲

音もなし 松の梢の 遠花火  子規

8月に入ると6日広島、9日は長崎の原爆忌、15日の終戦と続く。マスコミはこれを大きく報道する。しかし、8月2日は何の日?富山県民の若い世代は大半が答えられないかも知れないと言う。
富山大空襲の日である。
8月2日午前0時36分~1時51分まで75分にわたり、米軍爆撃機B-29が富山上空に飛来し、実に12,888発の焼夷弾を投下した。爆撃平均中心点は富山城址東南の角{かっての時計塔付近}とされた。
罹災所帯2万5千。罹災人口11万人。死者判明しているだけで2,275人。実際は3千人は下らないと言われている。

富山市街は、大和百貨店、海電ビル{現、電気ビル}NHK富山放送局、昭和会館、興銀富山支店、残った建物は僅か6か所。まさに市街地は灰じんに帰した。富山市の目標区域にある住宅密集地の破壊率は99.5%と全国92の被災都市の中でも群を抜いた数字である。

私の両親は滑川の海岸から赤々と夜空を焦がす富山空襲を見たという。私は戦後生まれだから、当然見ていないが、昭和31年9月10日の魚津大火は滑川の海岸から眺めた記憶はある。当日の爆撃地は、富山、長岡、水戸、八王子、川崎石油企業群と5か所であった。出撃したBー29は計858機。内、富山飛来は182機。米軍資料によれば、高度4千m、時速300㎞から焼夷弾を投下すると2.4㎞ほど先におよそ28秒で着弾する。初弾に続いて70発の焼夷弾が十数秒の間に次々と投下され、最初の着弾地点から1㎞ほどにわたって着弾したという。

又、富山への空襲はサイパン島のイスレ―飛行場から182機のB-29が2本の滑走路を利用し、1滑走路あたり1分間隔で離陸し、91分で全機が離陸している。密度を高めることによって、爆撃の時間を圧縮し、避難,、消火活動の時間を与えないことを目的としたという。この為、大空襲の炎から逃れようと、多くの人たちが神通川に飛び込んでいったが、命を落としてしまった人も多かった。

その犠牲者のうち十数名の遺体が数日後、氷見市島尾海岸に流れ着きその中に、赤ん坊を背中に背負った母親の遺体もあったという。それを地元の人たちが、松林に埋葬し毎年空襲犠牲者を悼む慰霊祭が行われ、昭和50年地元有志の方々の手によって、立派な慰霊地蔵尊像が建立された。胸の詰まる思いである。

戦後、軍人には軍人恩給が支給されるようになったし、原爆被爆者援護法が制定された。しかし、何の罪もない人々が家を焼かれ、命まで落とした人々には何の補償もない。割り切れない思いもする。

いづれにしても、無抵抗の市民を無差別に大量殺戮する戦争は絶対やるべきでない。ロシアによるウクライナ侵攻も同様である。万物の霊長である人間の最も愚かな行為が戦争である。

さて、今年は3年ぶりに富山市神通川有澤橋下流で納涼花火が打ち上げられた。富山大空襲の犠牲者への鎮魂、平和への願い、加えて今年はウイズコロナに向けて力強い一歩を踏み出す思いを込めたと言う。その願いが叶うように願わずにはいられない。
写真は、3年ぶりに開催された神通川の花火{テレビより}氷見島尾海岸の慰霊地蔵尊像

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