世の中に 絶えて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし
(古今和歌集 在原業平)
清少納言は「春はあけぼの」と書きました。夜明けの空を赤々と紅色が染め上げるように春は冬の名残りを追い払ってしまいました。
「曙(あけぼの)、朧(おぼろ)、霞(かすみ)」4月の言葉は日本的美意識で迫り私は好きです。
さて、我が家の小さい裏庭に樹齢20年程の染井吉野と枝垂れ桜があります。
今年は花弁の数が少なく桜花爛漫とはいかなかったけれど、7日{日}好天の下、花見を楽しみました。
「花の下の半日の客 月の前の一夜の友 めぐる盃、桜の下で客と接し友と語る」まさに花咲き、鳥歌い、野が山が海が躍動する季節。それが4月だと思います。
ところで、飛鳥や奈良時代から平安時代くらいまでは、花見と言えば「梅」だったそうです。それが桜に変わったのは、「梅」の花見は旧暦1月。寒さが厳しく、「桜」になったと言う説がありますが、信疑の程は私には分かりません。
万葉集全4516首の内、桜に関する歌は47首、梅は約120首です。桜は自生している「山桜」であり、「梅」は宅地内にあり、桜より身近な存在だったのでしょう。
また、「梅」は盆栽にもあるように香りや木{ぼく}の美しさを愛でるのに対し「桜」は、桜花爛漫のような風景を眺め楽しむとの違いがあると思います。
4月1日「大化」(645年)}から数えて248番目の元号が「令和」と発表されました。
出典は従来の中国の古典ではなく、国書{日本古典}である「万葉集」から採用され、確認出来る限り初めてという。
これは、天平2年{730}旧暦の正月13日太宰府の大伴旅人{大伴家持の父}家で梅見をしながらの宴会で詠まれた32首の和歌の前に置かれた漢文の序文「初春令月、気淑風和」から「令和」の2文字が取られたという。約120首の「梅」の歌のうち32首がこの時の歌というから驚きです。
我が家の染井吉野も天候不順が幸いして例年より長持ちしていますが、今日11日から散り始めました。いづれにしても、日本人にとって「桜」を抜きにして春は語れないのかもしれません。
写真は、4月10日の我が家の染井吉野です。