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曜変天目・静嘉堂美術館

珍しき 高麗-唐土の花よりも 飽かぬ色香は 桜なりけり 本居宣長

日本人ほど桜をめでる民族はいないであろう。テレビでは連日桜の開花宣言の日が予想され報道されている。
残念ながら、私が上京した時はまだで、29日には開花宣言が発せられるだろう。そんな中、全弓連理事会出席で3月26日ー27日上京した。
上京の楽しみの一つに、美術館や博物館での名画や名品の鑑賞や友人等と会えることである。今回は、東京駅近くの明治生命館1Fの静嘉堂美術館へ行った。

実は、この明治生命館は昭和9年{1934}竣工し、昭和の建造物で初めて重要文化財に指定された由緒ある建物である。
さて、江戸幕府が倒れ西洋文明が流入した明治時代に「美術」という言葉が誕生し、西洋風の建築や油彩画が普及し博覧会が開催され、美術館が初めて開館したのもこの時代であった。急激な変化は「廃仏毀釈」という伝統文化軽視の風潮を生み出した。

そんな中、三菱を創業した岩崎弥太郎の弟で三菱第2代社長岩崎弥之助{1851-1908}は明治10年代、刀剣を収集し大名道具を購入するなど文化財の保護に努め、明治25年静嘉堂文庫を創設した。
「静嘉堂」の名称は、中国の古典「詩経」から採った弥之助の堂号で、祖先の霊前への供物が美しく整う、という意味。弥之助の死後、その子岩崎小弥太・三菱第四代社長{1879-1945}が父の意志を継ぎ、美術品の収集と静嘉堂文庫の拡充に努めた。

また、弥之助の援助のもと制作された、橋本雅邦、{竜虎図屏風}重文や岩崎邸を飾った黒田清輝{裸婦婦人像}など親子二代にわたって創設・拡充された「静嘉堂美術館」には、現在、国宝7件、重要文化財84件を含む、およそ20万冊の古典籍と約6500件の東洋古美術品が収蔵されており、年数回企画展が開催されている。今回の企画展は、3月ということもあり「岩崎家のお雛さま」であった。雛飾り、お雛さま、どれをとっても,贅の限りを尽くした豪華で見事な物ばかりであった。

今回、企画展とは関係ないが、国宝「曜変天目」が出品されていて、これを見るのも目的の一つであった。私は茶道には無知であり、美術品のコレクターでもない。好奇心が旺盛ゆえに出かけるのである。さて、広辞苑によれば、この小茶碗「曜変天目」は南宋時代12-13世紀、中国福建省建窯で作られ陶磁器の焼成中、漆黒彩面が変化して斑紋が生じ大小の星紋が浮かび、そのまわりが玉虫色に光沢を放つ。

日本では、国宝・曜変天目は大阪、藤田美術館、京都大徳寺塔中・龍光院と静嘉堂美術館の3点しかない。何れも割れると再現は不可能と言われ、同じものは創れないといわれている。静嘉堂美術館の「曜変天目」は徳川三代将軍家光公から春日局にわたり、親戚の稲葉家へゆき、そこで代々伝えられてきたが、昭和9年5月稲葉家から小弥太が入手した物である。
それ故「稲葉天目」ともいう。小碗の中の大宇宙と表現されていたが、まさに小碗の中で、無数の星が夜空に輝いているかのようであった。中々見れない物を見た満足感に浸りながら会場を後にした。写真は、企画展のパンフレットと国宝・「曜変天目」

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