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第58回関西滑川会

7月5日{土}第58回関西滑川会{会長・千先久矩氏}の総会・懇親会がホテルグランヴィア大阪で開催されました。当日は気温35度を超す猛暑にも拘らず約70名の参加を得て親睦を深めました。
総会では役員改選で千先氏が再選され挨拶。水野市長、古城近畿富山県人会長、大門県議,嶋谷滑川高校長、土肥東京滑川会長と私の6人が祝辞を述べました。

いつも思うことですが、挨拶も6人目となれば、前者の方と重なるような挨拶では問題だから私はカットして構わないと申し上げ辞退していますが、何でもよいから。とのことで、了解し、当日の天気にちなみ、気温について少し話しました。

日本で最高気温を観測したのは、昭和8年{1933}7月25日、山形市で40・8度である。この記録が破られたのは、平成19年{2007}8月16日、埼玉県熊谷市・岐阜県・多治見市の40・9度である。僅か0・1度のことだが実に74年ぶりであった。

しかし、この記録が破られたのは、平成25年{2013}8月12日、高知県四万十市で41度を記録する。6年で記録更新である。
しかし、この記録が破られるのは、平成30年{2018}7月21日、熊谷市と浜松市で41・1度を記録。まさに僅か0.1度であるが5年で更新である。これが国内での最高気温でそれから、今年はすでに7年目である。気を付けなければならない年かもしれない。国連のグテーレス事務総長は地球沸騰化と表現した。つまり確実に地球温暖化が進行していることを話した。

また、国内での最低気温は、明治35年{1902}1月25日北海道旭川市で-41度を記録した。実はこの日に、青森県八甲田山で青森連隊と弘前連隊の雪中行軍中210名の兵士の内、199名が凍死した日である。当時の旭川の人口は約14万人。当時の暖房は薪ストーブである。

現在の旭川市の人口は約32万人。暖房はエアコンで室外機から出る熱風。車の排ガス。工場から出る排煙等を考えると、旭川で-41度を観測することはもうないと思われる。最高気温と最低気温の寒暖の差は実に80・1度である。こんな国は世界にそうないと思う。

そして寒暖の差があるから脳が刺激され日本人は頭の良い民族である。と話しました。因みに、先進国といわれる国の首都の緯度を見ると、例えばサミット7か国、東京は北緯35度、ワシントン38度、ローマ41度、オタワ45度、パリ48度、ロンドン51度、ベルリン52度、これにモスクワは55度、である。つまりサミット参加国は東京より緯度は北である。1年中温暖な気候の所には先進国はないのである。こんな話を与えられた時間の中でしました。

懇親会は、竹原市議会議長の発生で乾杯し和やかな雰囲気でスタートし、余興として、役員の歓迎アトラクション、石田県人会副会長の歌謡ショー、県人会おわら教室の「越中おわら節」会員による「新川古代神」踊り、抽選会等多彩な企画で実に楽しいひと時でした。
宴もたけなわの中、青山市議会副議長と近堂副会長が関西滑川会と滑川市の発展を期しエールの交換が行われました。最後に全員で「ふるさと」を合唱し再会を楽しみにお開きとなりました。

尚、昨年同様「ふるさと」の歌詞の4番目に私の駄作が歌われたのには汗顔の至りでした。それにしても千先会長のアイデアと指導力には感心します。

私の駄作「ふるさと」の4番目の歌詞は次の通りです。

稲穂なびく かづみ野  清き流れ 早月
有磯の海に ほたるいか 忘れがたき ふるさと

写真は、挨拶する千先会長。私。ほたるいか網起こし。

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