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春日大社国宝殿

7月6日{日}甥っ子の車で朝、奈良奥山有料ドライブウエーを走行し、山焼きで有名な若草山{標高342m、}山頂展望台から眼下の奈良市内を一望した。春日大社、興福寺、東大寺などを眺めながら、まほろば、大和の国の風景に暫し浸った。
その足で春日大社・国宝殿で10時開館、しかも当日が初日である「究極の国宝・大鎧展」現存する国宝「鎧」の半数が奈良・春日大社に終結!を鑑賞した。

パンプレットによれば、「日本の甲冑には、様々な様式がありますが、これらは金工、漆工、染織など複数の分野にまたがる工芸作品の集合体で、日本の工芸技術の高さを、そして美意識を表した総合芸術といえます。
その甲冑の中でも、主に平安時代後期から、南北朝時代にかけて作られた「大鎧」は最も格式が高いものです。春日大社には日本を代表する甲冑の国宝・赤糸威大鎧{梅鶯飾}と国宝・赤糸威大鎧{竹虎雀飾}があり、この二領の大鎧には金工技術の粋を極めた絢爛豪華な飾金物が施されています。

本展覧会では天下に名だたる大鎧の双璧として知らるている青森県櫛引八幡宮の赤糸威鎧{菊一文字の鎧兜}と春日大社の赤糸威大鎧{竹虎雀飾}が史上初めて並列展示されるとともに、現存する国宝の甲冑類の半数が一堂に集まります。」(パンプレットより)

私からすれば、本来、鎧兜は戦闘から身を守る為の武具である、馬上から、刀を振り回したり、弓矢を放つ為に、鎧の脇腹には工夫がしてあるとは言え、重さ15㎏以上の鎧兜を着用しての戦いである。鉄砲の出現によって刀は武器としての役割を終え、太平の世になって美術品の道を歩む。
しかし甲冑は平安時代から権威の象徴とともに、防具より美術的価値に重きを置いたように思う。

私は弓道を趣味とするが、弓も同様である。7尺余りの長大なものを持って馬上から矢を放つ。両手を手綱から離し、動く馬の上からである。的中率も当然落ちる。片や洋弓は違う。5尺余りで持ち運びにも便利で、機能的であり、しかも和弓より飛距離も的中率も遙かに高い。
しかし日本武士は重藤の弓の美を含め和弓にこだわり今日まで来た。私は甲冑も同じと思う。

武器としての機能よりも、美意識を含めた日本人特有の精神性に重きを置いたものでなかろうか。そう考えるとパンプレットにある、「複数の分野にまたがる工芸作品の集合体で、日本人の工芸技術の高さ、そして美意識をあらわした総合芸術」の意味が解るような気がする。

それにしても素晴らしいものばかりであった。外は30度を超す暑さ。やはりインバウンド、外国人と鹿で溢れていた。
奈良で昼食後、京都から富山へと向かった。車を提供してくれた甥っ子に感謝、感謝である。
2泊3日の慌ただしい日程であったが充実した日々であった。

写真は、若草山山頂。国宝・赤糸威大鎧{竹虎雀飾}春日大社蔵

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