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射水市大島地区社会福祉協議会研修会

10月10日、上記研修会の講師としてお話をしました。
演題は「富山の売薬の歴史」です。その前に、10月10日と言えば、かつては「体育の日」で国民の祝日でありました。ご存知の通り昭和39年(1964年)のこの日東京オリンピツクの開会式が行われた日です。
当時のテレビ中継のアナウンサーの表現を借りれば、「世界中の秋晴れを東京に集めたような素晴らしい青空」とのことでした。これは明治以降の観測データに基づき、晴れる確率が最も高い日を選んだのです。平成32年(2020年)開会式は7月下旬です。

一説によれば、地球温暖化がより進み、この頃は真夏日、猛暑日などが続くことが予想されています。暑さ対策は当然行われると思いますが、10月でもよかったのではないかと思います。
さて、そのオリンピックを記念して、昭和41年(1966年)スポーツに親しみ、健康な心身をつちかう日。として国民の祝日に制定されました。

これが、平成12 年(2000年)ハッピーマンデー制度により10月第2月曜日とされました。
このようなことは、成人の日は、1月15日から1月第2月曜日。海の日は7月20日から7月第3月曜日。敬老の日は9月15日から9月第3月月曜日にいづれも変更になりました。
しかし、祝日になった時、その理由と意義がある訳です。それが、ハッピーマンデー導入により変更されましたが、私は疑問に思う一人です。

さて、当日は、大島地区24町内会長さんと役員。これに民生児童委員約40名程の参加でした。
最初に射水の地名について説明しました。645年大化の改新のあと、北陸一帯を含んだ越の国が置かれ、7世紀末、越の国が、越前、越中、越後の三国に分割されます。ここに越中の成立を見ます。所管は、射水郡、砺波郡、婦負郡、新川郡、これに今の新潟県の一部である頸城郡、魚沼郡、古志郡、蒲原郡を加え計8郡です。
しかし、大宝2年(702年)3月17日4郡が越後国所管に移されます。その後、養老2年(718年)越前から能登国が独立しますが、天平13 年(741年)12月10日能登国は越中国に併合されます。珠洲郡、能登郡、鳳至郡、羽咋郡を加え再び8郡となりました。

ですから、大伴家持が越中の国守として赴任した天平18 年(746年)には能登は越中の所管であります。
その後、天平宝字元年(757年)5月8日この4郡は越中から分割され、能登国の再置となったことなどを話しながら射水の地名の古さや歴史について多少説明しました。

本題に入りいわゆる富山売薬の起源といわれる元禄3年(1690年)12月江戸城内における三春藩主秋田河内守腹痛事件から始まり、享保18年(1733年)滑川売薬が始まり寛政元年(1789年)射水売薬、弘化4年(1847年)大門売薬。嘉永年間(1847-53年)高岡売薬の始まりなどを話しました。

明治維新の折、洋薬礼賛、漢方排斥、売薬印紙税の導入など苦難の歴史の中、電力や金融、印刷など様々な産業を起こし、教育機関の充実を図るなど、富山県の近代化に大きな貢献を果たしました。
そして、コンビニ、ドラックストア、診療所、医院、病院等これほど普及している現在ても、全国5500万世帯のうち、約860万世帯に置き薬が配置してあります。
また、売薬さんがそれぞれの家庭を訪問し、自らの健康は自ら守る、と言う自己治療。つまり、セルフ・メディケーションの啓蒙やそれぞれの家庭のヘルス・コンサルタントとして大きな役割を果たしていることを話しました。

与えられた1 時間15分はアッと言う間に過ぎました。嬉かったことは出席者の内、10数名の方が置き薬を置いているとのことでした。その方々には引き続き富山の薬をご利用頂くことと、薬箱を配置していない方々には是非ご利用頂きたいことをお願いし、講演を終えました。

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