なかや一博 ブログ

先祖に想いを馳せる

金色の、小さき鳥の形して、銀杏散るなり、夕日の丘に。(与謝野晶子の歌)

木枯らしが吹き、今年も1ヵ月余りとなりました。
さて、「私達は一人の例外もなく父と母があることによってこの世に生を得ました。その父と母にもそれぞれ両親がいます。それを遡っていけば、どうなるのか。十世代で1024人。二十世代で104万8576人。三十世代では10億7374万1824人。四十世代遡れば、1兆995億1162万7776人。
想像を絶する数になります。正に人類皆兄弟といわれるゆえんでしょう。そして、この祖先の命が1回も途切れずに今日に生きているのがあなたの命であり私の命です。

この命の連鎖がどこかで断ち切れていたら、あるいは別の人に代わっていたら、あなたも私もここに存在していません。そんな折、先般、北海道旭川出身で現在兵庫県宝塚市在住の方が私の家にお出でになった。氏の先祖の母方が明治の半ば滑川より北海道に移住され、中屋姓から嫁いでいるとのことでした。

ひょつとしたら我が家との縁戚も含め、父方、母方のルーツを調査中で私にも協力をお願いされていました。これも何かの縁と思い、私は私なりに調べましたがなかなか進まず、氏は氏でかなり調査されたようですが、最終的に滑川に一度訪問することとなり今回実現したものです。

当日は、氏が収集された「除籍簿」や「早月加積村史」、「四ッ屋村の由来書」など多くの資料の中から、古文書等は市博物館の職員に解読してもらったり、中屋家の菩提寺を訪ねご住職より寺の過去帳などから説明を受けたりしました。また、中屋家総本家でも過去帳を始め調査されましたが、結果は残念ながら多少は判明したものの充分とは言えなかったようです。
一日同行しましたが私の力不足をお詫びすると、氏は「せめて自分の先祖の生まれた地を訪ねることができただけでも満足です」との言葉には胸が熱くなりました。

私にとって先祖と言えば目に見える範囲、つまり祖父母あたりまでをそのように意識していました。それが今回の件で先祖とはそれよりはるか以前から多くの人々の縁によって今日の自分が居ることを再認識すると同時に、いつの日か我が家の家系図を作成しようと思う機会にもなりました。

氏は翌日、父方のルーツも調査されましたが、後日の手紙ではそれも難しかったそうです。それにしても、氏は宝塚にいながら「滑川市史」や「豊頃町史」を読破しておられるのには驚きました。誰にも生まれ育った故郷があり家があります。そして、先祖が居ます。それは、時として人それぞれの心の拠り所として生きています。改めてそう思った次第でありました。

平成27年11月21日記



なかや一博 オフィシャルブログ

ブログ 最新の投稿(5件)

5月 2024
« 4月    
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
なかや一博 フェイスブック

リンク

トップへ戻る