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お花見

咲きみちて、こぼるる花も、なかりけり。 虚子

3月は別れの季節。4月は出会いの季節。取り分け、百花繚乱、、草花との出会いが良い。特に、桜です。
8日{土}我が家の裏庭に樹齢20年程の染井吉野と枝垂れ桜が各1本あります。その中で、染井吉野がほぼ満開になり、友人10数名と共に花見と称し小宴会を催しました。

古事記に出てくる、女神、木花之佐久夜毘売{このはなのさくやひめ}の木花{このはな}は桜を指していると言われています。古来から愛された花で有り、古今集でも紀友則の歌に「久方の光のどけき春の日に、しづ心なく花の散るらむ。」を始め、多くの名歌が生まれています。

しかし、万葉集4516首の内、梅は119首{当時は白梅で,紅梅は平安以降}桜は37首{山桜}と意外に少ないです。多分、梅は屋敷内に植えられているのに対し、桜は山桜が主であったから、歌に詠まれる機会も少なかったのではないかと思います。

[うらうらと、のどけき春の心より、にほい出でたる、山桜花]賀茂真淵
「敷島の,大和心を人とわば、朝日ににほう、山桜花」  本居宣長
など、江戸時代までは、やはり山桜に関する歌が多いように思います。また、染井吉野は「オオシマサクラ」と「エドヒガンサクラ」との交配で、幕末、江戸染井の地で誕生したいずれにしても、桜の花びらが、散リ惜しみせず散ることから武士の象徴となり、日本人の生き方、死に方と深くかかわってきたのでしょう。

忠臣蔵の浅野内匠頭の辞世の歌は、「風さそふ、花よりもなほ、我はまた、春の名残をいかにとやせん」であり、三島由紀夫の辞世は「散るといふ、世にも人にもさきがけて、散るこそ花と、吹く小夜嵐」とあります。

しかし、花見となればこんな理屈ぽいことを語るより、やはり花より団子です。
友人との花見は、「さまざまなこと、思いだす、桜かな」芭焦 この句のように様々なことを話題として楽しいひと時を過ごしました。

翌9日は、町内会の花見もありました。午前中は町内の川掃除。正午より反省会を兼ねて西地区公民館で花見でした。丁度向いが田中小学校であり、その前庭に満開の桜が数本。まさに桜花爛漫、窓越の観桜会でした。

私は昭和40年代に青森県弘前城の桜祭りに何度も行きました。その頃は4月末―5月初旬のいわゆるゴールデンウイークの時期でした。しかし、今年を含め最近は1週間以上早くなっているといいます。やはり、地球温暖化の影響でしょうか。
さて、翌10日。滑川高校の入学式でした。卒業式には涙を流している生徒もいたが、さすが入学式にはそんな姿はなく、240名の新入生は新たな出会いに夢と希望に満ち溢れていました。いずれにしても充実した3日間でした。

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<染井吉野と枝垂れ桜>



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