なかや一博 ブログ

月別アーカイブ: 2020年1月

世界に羽ばたく薬都とやま大会

1月9日{木}午後2時30分より主催{一社}富山県薬業連合会による標記の大会が富山パレプラン高志会館で200名を越える多数が参加し開催されました。
第一部、主催者中井敏郎薬連会長挨拶に続き、薬事功労者表彰として県知事表彰3名、薬連会長表彰8名の表彰がありました。次いで、知事表彰を受けられた森田清秋氏が受賞者を代表し謝辞を述べられたあと、知事代理の市村県厚生部長より祝辞がありました。

その後、この度1枚のCDに5曲の富山売薬の歌
①昭和8年作詞・松原与史郎 作曲・高階哲夫
「越中富山の薬屋さん」
*高階は札幌時計台を歌った「時計台の鐘」の作詞・作曲をした人です。

②昭和11年作詞・西條八十 作曲・中山晋平
「廣貫堂音頭」

③昭和12年作詞・相馬御風 作曲・福井直秋
「富山売薬歌」
相馬は早稲田大学校歌「都の西北」や「カチューシャの唄 等々を作詞し福井は上市町出身の音楽家で武蔵野音楽大学の創始者であり初代学長でもあります。

④昭和28年作詞・埼玉県の多木良介 作曲・富山大学教授黒坂富治
「富山家庭薬の歌」
*富山市が歌詞を全国公募し作られたものです。

⑤昭和43年「愛のともしび」

の5曲から①と③の2曲をCDの収録に出演して頂いた滑川の女性合唱グループ「コール・あい」代表・高木悦子さん ピアノ・小善由美子さん総勢18名で歌って頂きました。

いづれも音源不明のため、古い楽譜と歌詞から起こして、さぞかし苦労が多かったと思います。最後に、「会津磐梯山」が披露されました。
CDとは違い、生の声には迫力があり大きな拍手が起きました。改めてCDに携わって者として大変良かったと思いました。
この様に超一流の詩人や音楽家によって作られた当時の業界は正に全盛期であった。それはなぜか 今の我々はそこから何を学ぶのか、そしてそれを未来に伝えてゆく中で、このCDをどの様に生かしてゆくかを考える機会になれば幸いと思います。

第一部終了後、製薬企業を対象として「医療現場ニーズを捉えた製剤技術展開による医療貢献」と題し、(株)NBMプランニング代表取締役社長、熊本大学客員教授、熊本大学薬学部先端薬学教授の菊地正彦氏による講演。また、配置・一般対象として「ぼける生き方、ぼけない生き方」と題し、{特非}日本成人病予防協会専務理事・安村禮子氏の講演が2会場に分かれ開催されました。

私は、配置の方に出席しましたが身近なテーマであり一同熱心に聞き入っていました。終わりに、この大会が開けるのも、富山県の医薬品総生産額が全国1-2位を争う位になったのも、やはり「富山のくすり」原点は置き薬、すなわち売薬にあることを改めて感じました。

写真は「コール・あい」の皆さん
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薬神神社歳旦祭

1月8日、恒例の薬神神社歳旦祭{主催・石倉雅俊奉賛会会長}があいにくの雨の中、関係者約30名が集まり横川宮司のもと厳粛な中にも滞りなく行なわれました。
当日は天候不順の為、社務所の中から薬神神社に向かって祝詞奏上、玉串奉奠などが行われました。

来賓は、市より藤田産業民生部長、原市議会議長、大門県議会議員、杉田商工会議所専務理事、
澤崎加積雪島神社総代等を始め、配置販売業者、市内製薬会社など順次玉串を捧げ1年の商売繫盛、家内安全を祈願しました。
引き続き直会に移り、石倉会長挨拶、来賓の祝辞などの後、懇談に入りました。
昨年の出来事や今年の抱負をそれぞれが語り合う中で、薬神神社の祭神が誰であるか知らずに参拝したいる、などの意見が出たことから、石倉会長から、神社の由来を記した立て看板を設置することが提案され了承されました。

参考まで、祭神は、神農、少彦名命、大己貴命の3体が合祀されています。
昭和31年10月8日建立。

写真は玉串奉奠する本人
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厚生労働大臣表彰

澤井真人氏(山形県医薬品配置協議会会長・66歳)は昨年秋、令和元年度薬事功労者表彰厚生労働大臣表彰の栄に浴されました。祝賀会は既に山形市で行われましたが今回は、滑川の薬業人有志で、1月7日レストラン光彩で開催されました。

氏は、滑川市常光寺出身で、現在、山形県東田川郡庄内町に居を移し、現地の人を雇用し営業をしておられます。氏は、滑川薬業青年部で活躍後、平成2年には全国配置薬業青年連合会会長を始め、平成18年から11年年間山形県協議会副会長、同29年から会長に就任され現在に至っています。この間、多年にわたり山形県民の保健衛生向上に尽力されるとともに、医薬行政の推進に寄与された功績が評価され表彰に繋がったものと思います。

特に、感心するのは、氏は山形県に居を持ちながら、滑川に家族がおられることから常光寺町内会長を数年前まで務めておられたことです。専業で出張が多い現役の売薬さんが地元の町内会長を務める方は私は、余り聞いたことはありません。野球の大谷翔平選手のように正に二刀流を見事にこなされたと思います。

関係者20名ほどでしたが、氏の表彰をお祝いし、更なるご活躍を祈念しました。

写真は挨拶する澤井真人氏
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迎春

大いなる 闇うごきだす 去年今年 桂 信子 

令和元年{2019}は既に地平線下に沈み、ここに輝かしい令和2年{2020}の陽は昇りました。
さて、今年の干支は「子」「庚子」{かのえのね}七赤金星{ななせききんせい}の年です。ご存知の通り、干支は「子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌, 亥」の十二支と十干「甲、乙、丙、丁、戊,己、庚,辛,壬,葵」の組み合わせが干支です。
十二支は12種類の動物の名前が充てられていますが、これは庶民にも分かりやすいように、後付けで動物の名前を当てたと言われ60通りの干支があります。「庚子」は60年に1度しか回ってきません。庚は「金の兄」{かのえ}と書き、「更」の象で、更新を「子」は「滋る」を意味し、潜在力があることを意味します。「七赤金星」はズバリ「お金」のことです。

60年前、「庚子」の年は1960年{昭和35年}は安保条約改正で岸内閣が退陣し、池田内閣が所得倍増計画を掲げ、高度経済成長へとスタートしました。また、「子」は十二支の最初です。120年前、1900年{明治33年}は20世紀に向けて更新の時期でした。
「七」は、方角的には「西」を指します。{恵方}季節は秋です{稔りの秋}「赤」は「火」であり金属を溶かす「炉」をも意味するとこから「火災」「滋波」「伝導」「太陽」などを暗示しています。それ故、「七赤金星」の年は火災や農作物に被害が発生する年とも言われます。いづれにしても、今年は、「一時代が終わり、新しい時代へ」それが「庚子」の年と言われます。「当たるも八卦、当たらぬも八卦」です。

五輪、パラリンピックがあり、終われば総選挙が囁かれ果して、政治は、経済はどうなるか。そんな中、元旦は地元の加積雪島神社{祭神・大山咋貴命}薬神神社{祭神合祀・神農・大己貴命・少彦名命}引き続き上市町、大岩山・日石寺の不動明王を初詣として参拝してきました。
それにしても、子供の頃は、正月から次の正月まで実に長く感じました。しかし、この年齢になると、一日が早い、一週間が早い、一か月が早い、一年が早い、10年が早い、ゆえに、「元旦や、かならず来るぞ 大晦日」そんな思いで1年を送りたいと思います。

写真は、初詣で賑わう大岩山・日石寺と6本滝
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