なかや一博 ブログ

月別アーカイブ: 2020年2月

再 会

2月12日、上京の折久し振りに総務省と財務省より富山県へ出向していたメンバーと再会し懇談した。
高部正男・元消防庁長官、現在市町村アカデミー学長。
江畑賢治・元県総務部長、現在(株)日立製作所CEO付。
荻沢滋・元県経営管理部長、現在市町村アカデミー副学長。
新田一郎・元知事政策局長、現在総務省自治財政局調整課長。

もう一組は、財務省から富山県庁へ出向していた方で富山一成・元県知事政策室長、現在財務省理財局次長。
岩元達弘・元県生活環境部長、現在財務省大臣官房総合政策課長。

などで、話題は県庁時代の想い出と共に最近の県政の問題、そして各人の現在の立場など盛り沢山の話題で時の経つのも忘れ歓談しました。

写真は総務省関係者{赤阪会館}と財務省理財局次長室にて

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出雲と大和

春風や まりを投げたき 草の原 正岡子規

2月12日全弓連理事会出席のため、上京しました。その機会に上野にある東京国立博物館平成館で開催されている「出雲と大和」特別展を拝観しました。当日は、3月下旬から4月初旬と言われるポカポカ陽気の中、公園内にある小グランドの横にある正岡子規の冒頭の句碑と野球を楽しむ人々の姿を見ながら入館。

さて、「令和2年{2020}は我が国最古の正史「日本書紀」が編纂された養老4年{720}から1300年という記念すべき年です。その冒頭に記された国譲り神話によると、出雲大社に鎮座するオオクニヌシは「幽」、すなわち人間の能力を超えた世界、いわば神々や祭祠の世界を司るとされています。
一方で天皇は大和の地において「顕」、すなわち目に見える現実世界、政治の世界を司るとされています。つまり、古代において出雲と大和はそれぞれ「幽」と「顕」、を象徴する場所として、重要な役割を担っていた。」パンフレットより引用。

国宝や重要文化財など170点もの作品が出品されていましたが、圧巻は、定説を覆した圧倒的な数の青銅器。特に、国宝・銅剣・銅矛‣銅鉾・{島根県出雲市、荒神谷遺蹟出土、弥生時代・前2-前1世紀}や国宝・金銅装鞍金具{後輪}奈良県斑鳩町、藤ノ木古墳出土・古墳時代・6世紀。
また、権威の象徴、王権の鏡、重要文化財の画文帯神獣鏡、三角縁神獣鏡、{奈良県天理市、黒塚古墳出土、古墳時代・3世紀}その中でも景初3年{239}と記された三角縁神獣鏡は、いわゆる魏の国から倭の卑弥呼に贈られたものではないか?と言われるものです。暫し立ち止まり興味深く見てきました。

また、長年実在したか、論争があった巨大本殿、重要文化財,宇豆柱で、これは、平成12年{2000}に出雲大社の境内から出土した巨大な柱で「心御柱」と「宇豆柱」のことである。{出雲大社境内遺蹟出土・鎌倉時代宝治2年{1248}。これらの巨大な柱は、出雲大社の本殿が、かっては高層建築であったことを示すもので本殿は48mだったとする資料が残るほか、鎌倉―室町時代の平面図では本殿の階段が長さ109mだったことも記されている。

これらのことは「日本書紀」や「古事紀」で触れられている「国譲り神話」で、出雲大社の祭神、大国主命が高天原からの使者に対し、支配権を譲る代わりに、巨大神殿を建ててもらったとされる話とも一致する。その特徴的な往時の本殿の10分の1の大きさの模型も展示され圧巻でした。

また、百済から献上されたと「日本書紀」に記載のある{七枝刀」と目される奈良県天理市の石上神宮に伝わる国宝・「七支刀」古墳時代・4世紀も出品されていた。いづれにしても滅多に見れない逸品ばかりであり、まさに、出雲と大和の名宝が一堂に集まった特別展であった。

参考まで「日本書紀」について
神代から持統天皇11年{697}までを記した歴史書。舎人親王{676-735}が中心となって編纂し、養老4年{720}元正天皇へ奏上された。全30巻で、巻1、巻2は神代、巻3の神武天皇から巻30の持統天皇までは編年体でまとめられているという。「日本書紀」の写本は、古本系統と、卜部{うらべ}家本系統に分類されているという。和銅5年{712}太安万侶編纂の歴史書「古事紀」よりも沢山の記事が収めらているところから「古事紀」より「日本書紀」が脚光を浴び、いつの間にか「古事紀」が忘れ去られてきた。
しかし、江戸時代に入り国学者・加茂真淵や本居宣長によって再び光が当てられた。そして双方とも、現代まで様々な視点から研究が続けられている。処で、日本のホテルの中には、各部屋に聖書が置いてあります。
むしろ、「日本書紀」を置けばどうでしょうか。

会議の都合上2時間余りの拝観でしたが、はるかいにしえに思いをはせ充実した時間でした。

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第4回祝日に日の丸を掲げる会講演会

2月10日午後7時~8時滑川市民交流プラザで奥本康大{こうだい}氏を講師に迎え講演会が開催されました。

冒頭、2月14日は何の日か?と質問されました。
誰もがバレンタインデーと思いきや、2月14日はバレンバン落下傘部隊降下の日であるという。昭和17年2月14日インドネシア・スマトラ島の最大都市バレンバンに約350人の日本兵落下傘部隊が奇襲攻撃をかけ、千人を超えるオランダ軍を蹴散らし、飛行場と2ヶ所の製油所を無傷で制圧し戦闘は約一日で終結した。
約12時間程で飛行場を確保した部隊の一小隊が降下直後に5名で集結し、約30倍の敵と遭遇、拳銃と手榴弾だけで敵を敗走せしめた。その小隊長が弱冠21歳の奥本実中尉で私{康大}の父である。
そのバレンバンの戦果がいかに大きかったかは、その後、戦時歌謡「空の神兵」として広く国民に歌われ、翌年2月19日宮中に参内し昭和天皇に謁を賜ったという。

私の手許ににある「昭和天皇実録」全18巻の9巻の中で、昭和18年2月19日にこう記してある。
2月19日・金曜日
午前10時、御学問所に出御され、今般満洲より帰還の陸軍中将川並密{前第14師団長}・同西原寛治{前第23師団長}並びに感状拝受の陸軍大佐青木武三・同本多三男・同鈴川清・同星駒太郎・陸軍中尉奥本実に謁を賜う。と、記してあった。

ご本人によれば、一介の中尉が天皇に謁を賜ることは極めて異例であったという。それにしても、2月14日がバレンバン落下傘部隊降下の日とは、私を含めて知っていた人はいなかったと思う。講演の大半がこの話であったが、日の丸に関しては、オリンピックになると、にわか日の丸フアンが増えるが、あくまでにわかであって、国旗は「日の丸」国歌は「君が代」と法律で定められている。教育現場でもそれを教えようとしないのは問題である。とし、祝祭日には、国旗「日の丸」は掲揚すべきとのことでした。
私も同感です。

いづれにしても、戦争は勝っても、負けても悲惨なもの。人間は、万物の霊長と言われるが、人間の最も愚かな行為は戦争である。やはりいかなる理由があっても、戦争はすべきではないと思います。

奥本康大氏略歴
昭和25年{1950}9月大阪市生まれ。昭和50年・出光興産入社
現役勇退後、保護司。調停委員として社会奉仕活動に取り組んでいる。「空の神兵顕彰会」会長 「史実を世界に発信する会」委員等
著書に「なぜ大東亜戦争は起きたのか? 空の神兵と呼ばれた男たち」高山正之共著・奥本実名義がある。

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