なかや一博 ブログ

月別アーカイブ: 2021年10月

東山魁夷展

若葉して 御目の雫 拭はばや 唐招提寺にて 芭蕉

先日は紅葉の立山、黒部アルペンルートと称名滝を散策したが、今回は芸術の秋を楽しんだ。
10月12日知人と共に「東山魁夷唐招提寺御影堂障壁画展」を富山県美術館で鑑賞した。以前長野県立美術館、東山魁夷館で画伯の作品を鑑賞したことはあったが、今回は国宝鑑真和上坐像が安置されている奈良唐招提寺御影堂の障壁画は、東山魁夷画伯が一期・二期通算11年の歳月をかけて1980年に全68面完成されたものを、この度、御影堂の全面改修に伴い、富山を含め全国数ヶ所で一堂に展示される貴重な機会となった。

パンプレットによれば、「唐招提寺開山鑑真和上は、12年の歳月を費やし、5度の挫折の末に視力を失いながらも6度目にして来日を果たされました。
この鑑真和上の苦難を御慰めするため東山魁夷画伯によって、和上が御覧になる事の出来なかった日本の山景と海景の障壁画が鑑真和上を奉る唐招提寺御影堂に納められ、続いて鑑真和上の故郷である「揚州」の水郷風景と、中国を代表する「黄山」と山川絶景の「桂林漓江」がそれぞれ中国の風景美として納められました」と記してあります。

また、製作にあたっては日本や中国各地を歩いてスケッチを重ね、いく度も構成を練る中で、山を描く旅は、富山県黒部から始まり、宇奈月から黒部渓谷鉄道に乗り、数多くの写生を残した画伯は、黒部渓谷で目にした風景について「正に渓谷美の醍醐味を満喫させてくれるもの」とあります。
また、東山魁夷「唐招提寺への道」の中に「渓谷としては、是非、黒部へ行ってみたい。

眼を閉じると、障壁画の構想が、朧気ながら浮かんで来る」と記してあり、パンプレットにも、障壁画の「山雲」には、富山で取材した渓谷のイメージが反映されていると考えられる。書いてあるから、障壁画と富山とは無縁ではないのだろう。
私は、障壁画を美術的に論じる知識もなければ、資格もない。ただ、画伯が鑑真和上に捧げた祈りの美は、ほんの少しだけだが理解できたように思う。また、画伯が昭和15年、31歳の時の作品「山・海」の屏風が展示してありました。これは、滑川のある市民の方が県に寄贈されたものと思います。

そして、会場を回りながら、鑑真和上が5度も挫折し、しかも、視力を失いながらも日本に仏教を広めようとした「強い意志」と「情熱」には驚かざるを得ない。また、遣隋使や遣唐使は異国の文化や制度を持ち帰り日本の国造り、取り分け唐の律令制度は日本の国家運営に大きな影響を与えた。

遣隋使では小野妹子。遣唐使では山上憶良、吉備真備、そして、阿倍仲麻呂は唐朝で科挙と呼ばれる役人になる試験にも合格し、高官にまで登り、詩人李白や王維とも親交があったという。在唐54年、日本に帰ることを夢見ながら、異境の地で生涯を終えた。2004年井真成の墓誌が発見されて話題を呼んだが、墓誌まであることからそれなりの人物であったと思われる。

遣隋使は600年ー618年推古天皇の時代に新たな技術や制度を学ぶ為に5回派遣され、唐の時代618年―907年には20回ほど派遣されたという。この中には唐で仏教を学ぶ留学僧も派遣され、その中にいた空海は帰国後真言宗を最澄は天台宗を興す。彼らの帰還する船で日本に仏教を広める為に、唐の僧も日本へやってきた。その一人が鑑真和上である。

2010年上海国際博覧会で復元された遣唐使船を見ると、長さ約30m、幅10mに満たない木造船であった。渡航ルート等々は省略しますが、要は鑑真和上の例を出すまでもなく、命がけで数か月をかけて長安や洛陽を目指した遣唐使の有為な人材も約3―4割は難破、遭難,約3割は帰国出来ず。
こんな危険を冒しても彼等は国の将来に思いを馳せ、荒波を蹴って唐に渡った。

これに比べると、昨今多発する官僚の不祥事は、正に国家公務員としての矜持を忘れているとしか思えない。この、遣隋使、遣唐使として異国の地に渡った先人の姿を思い出してほしいものです。

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錦秋の立山・黒部

継ぎ目なき 天一枚 秋の空

誰の句か知りませんが、私の好きな句です。この句の様にはいきませんでしたが、多少の雲があったとは言え、青空が一杯に広がり山々の稜線がくっきりと浮かび上がる中、10月8日~9日一泊二日で立山黒部アルペンルートの大自然の雄大さを堪能してきました。

我が家を朝6時に車で出発。6時50分立山駅{標高457m}に到着。当日乗車券売り場にはすでに30人ほどの観光客で溢れていましたが、難なくチケットを購入。臨時便が増発され、立山駅発8時10分ー美女平{標高977m}行きケーブル約7分で到着。美女平発8時30分高原バスにて室堂{標高2450m}へ9時20分着。
つまり、海抜0mの我が家から標高2450mの室堂まで、僅か3時間20分である。
これを黒部ダムまで直行すれば、室堂からトロリーバスで10分で大観峰。ロープウェイで黒部平から黒部湖駅。我が家から約4時間で黒部ダムである。なんと便利になったことか。

かって、私は当時の中沖豊知事にこの時間帯を説明して、午前中は室道周辺での夏山スキー昼食後下山し、4時頃から富山湾で海水浴が出来る富山県。これを売りにすればどうだろうか。と話したことがある。
それにしても、春先訪れた際の雪の大谷はどのあたりか。雪が全くないのだから探すのに苦労する。
しかし、それに代わって紅葉である。見事だったのは、大観峰から黒部平へのロープウェイから眺めるタンポ平{標高約1800m}の紅葉と黒部湖である。
赤色やオレンジ色、黄色など鮮やかに映えていた。特に、感心するのは、栄養分が全くないと思われる岩肌にへばりつくように咲いている赤のナナカマドが印象的だった。

室堂辺りは既に紅葉は終え、弥陀ヶ原より少し下の七曲{標高1680m}辺りが見頃である。しかし、バスの車窓からは、秋色に彩られた高原は見えにくく、やはり、これはヘリコプターなどで、上空から眺めるのが一番であるが、所詮庶民には無理な話である。

それにしても、石原裕次郎主演の「黒部の太陽」でもお馴染みの「黒四ダム」は7年の歳月をかけ、大破砕帯との遭遇をも克服し、171名の殉職者を出しながら昭和38年6月完成させた。
この先人達の英知と努力。それは、全線開通50周年の節目を迎えたアルペンルートにも言える。これを最初に提唱した佐伯宗義氏に賛同する者はほとんどいなかったと言う。

考えてみれば、北海道を除く46都道府県が隣接する県が車道で結ばれていないのが、富山県と長野県位である。立山を貫き富山県と長野県に光を。こんな思いもあり、アルペンルートを運営する社名は、立山黒部貫光{株}で、観光でなく貫く光である。

現在、富山県では立山連峰にトンネルを堀り長野県大町周辺と直接道路で結ぼうとする案がある。立山連峰にトンネルを。と言っても、3案があると言われ、まだ夢の段階であるが、北陸新幹線後の夢のプロジェクトであろう。今の日本の土木技術では私は可能と思う。

要は採算性であろう。北陸新幹線は構想から完成まで50年以上の歳月を要したことを思うと、私の眼の黒い間には無理かもしれないが夢は持ち続けたいものである。
「黒四ダム」にしても「立山黒部アルペンルート」にしても、先人達の開発にかける情熱や不屈の闘志と使命感には驚かざるを得ない。特に昨今の環境問題を考える時、アルペンルートは50年も前から環境に配慮し、排ガス対策としてマイカーの乗り入れを禁じたり、トンネル内はトロ―リバスを導入するなど、先進的な施策を展開していることは特筆すべき事と思う。2時半を過ぎると雲も多少厚くなり下山。
3時半頃立山駅から車で称名滝へ。この時間帯になるとほとんど観光客はいなかった。滝の水量は一年で一番水量が少ない時期なのか、大瀑布とまではいかなかったがそれでも圧巻であった。また、ハンノキ滝は消滅していた。

立山山麓で一泊後、翌日は立山カルデラ砂防博物館の見学と大自然の雄大さをたっぷり満喫して帰路に着いた。観光客については非常事態や蔓延防止等が解除され、富山県独自の防止策もステージ1になったこともあってか、室堂では県内の中学生が日帰り旅行として多数来ていたり、まずまずの観光客で賑わっており、一昨年までとはいかないものの、少しずつではあるが元に戻って来ているように思えた。
一日も早く元に戻るように願うものです。

帰宅後、友人に黒部ダムの話をすると、ダムの放水を見るためには3階建てのダムレストハウスへ行くか、あるいは下へ降りる方法がある。その下へ降りる階段は自分が設計したと言う。詳細は省きますが私も驚きました。同級生には多彩な人物がいることを改めて嬉しく思いました。

写真は、雄山をバックに。紅葉のタンポ平と右に黒部湖。放流する黒四ダム。称名滝。

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滑高祭2021

落ち鮎の 佳き香り立つ 囲炉裏焼  高島学人

秋晴れの下、青空の広がる中、10月1日{金}~2日{土}「彩色・滑高を個性の色に」をテーマに、滑高祭2021が開催された。
これは、学校行事の一環であり、体育大会、修学旅行と並ぶ3大行事の一つでもある。昨年はコロナ禍で中止となったが、生徒にとっては入学から、卒業までの3年間で一度の開催であり昨年の3年生には気の毒なことであった。

1日は演劇鑑賞として、今なお世界中で愛されているシェイクスピアの4大喜劇の1つである、コメディミュージカル「真夏の夜の夢」{劇団・(株)笑う猫}を全生徒が黒部コラ‐レで鑑賞した。
私自身、鑑賞はしていないので感想は述べれませんが、先生の話では、結構生徒は喜んでいたとのことでした。

2日は生徒15クラス、27部活、2委員会・学科等を各教室を会場にしての発表でした。
9時~9時30分、第一体育館ステージで吹奏楽部の「滑高コンサート」は全生徒参加で、その他の発表等は自由見学であった。
私は全部の発表は見なかったが、今朝、上市川河口で釣った「ハゼ」や「ヤマメ」の水槽飼育展示。姉妹都市、小諸市、豊頃町、那須塩原市の物産展。
プロ並みの写真展。体育大会の様子を記録編集したDVDを上映し、予約販売。
映画鑑賞として「タイタニック」の上映があるなど多彩で趣向を凝らした発表会であったが、企画から設営までの努力が思い出になるのであり、賛辞を贈りたい。

特に、人気があったのは,体育館のステージ上でのダンスである。暗くなった場内で10数名の男子生徒が踊りだすと、女子生徒が持つペンライトが揺れ歓声が上がる。コロナ禍の中、練習するのも大変だったと思う反面、私には中々ついていけないのも年齢の違いだろうか。
この時間帯、他の会場は見学者はほとんどいなかった。

いづれにしても、スポーツ活動や文化活動など平常に少しずつではあるが戻ってくると、生徒たちも喜喜としてくると先生はいう。
考えてみれば、悠久の時の流れには「節」はない。
しかし、人間は「節」を付けた。60秒で1分、60分で1時間、24時間で1日、30日或は31日で1ヶ月、12か月で1年としたり、また1年を春夏秋冬に分けたり、24節気、72候、雑節など、時の流れに「節」を付けた。大晦日に飲む水も元旦に飲む水も本来同じ水である。
しかし、元旦に飲む水はどこか清々しく感じる。それは時の流れに「節」があるからである。高校生活も同様です。コロナ禍で「節」を失った。これによって、自己喪失に陥った生徒もいたのではないかと思う。
しかし、ワクチン接種も進み、緊急事態も蔓延防止も解除された。富山県独自の防止策もステージ1に引き下げられた。
だからといって安心とはいかないが、徐々に回復に向かっていることは歓迎すべきであろう。

写真は、ポスターと男子生徒によるステージダンス

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