なかや一博 ブログ

年別アーカイブ: 2021年

黒部トロッコ電車と宇奈月温泉(11月4日~5日)

谷という 器溢れる 紅葉かな

11月4日{金}~5日{土}紅葉の黒部峡谷をトロッコ電車で家族と共に楽しんだ。
4日、10時44分、宇奈月駅を出発。新山彦橋を通過。宇奈月温泉の源泉のある黒薙。排砂ゲートのある出し平ダム、猫又、鐘釣など滑川出身の室井滋さんの分かり易いナレーションを聴きながら、12時03分終点欅平駅着。
20.1㎞。所用時間約80分の旅である。

欅平駅周辺には、特別名勝、特別天然記念物、猿飛峡があるが残念ながら途中道路が不通の為行けなかった。
そこで、名剣温泉まで散策したが、人食い岩の岩肌を彩る木々の黄色や常緑樹の緑に、朱塗りの奥鐘橋が鮮やかであった。

さて、トロッコ電車を運行する黒部峡谷鉄道は、今年創立50周年を迎えた。平成の始めから約15年間は100万人を超える乗降客数は1994年には137万人と過去最高を記録し、立山・黒部アルペンルートを凌ぐ勢いであった。
しかし、最近10年間は観光の多様化もあり60万人から70万人台まで減少。そこに新型コロナが追い打ちを掛けた。これは単に宇奈月温泉だけでなく全国の観光地も同様である。

実は10月21日~22日に今回と同じコースで宇奈月へ行ったが観光客もまばら、トロッコ電車もガラガラで、正に閑古鳥が泣いていた。
しかし、10月末には緊急事態宣言も蔓延防止等も解除されたことから、トロッコ電車もほぼ満席状態で、結構賑わいが戻って来ているように思えた。
日本広しと言えども、これ程変化に富み、80分も峡谷美を満喫出来るトロッコ電車は此処しかないと思う。
これを含め、立山・黒部アルペンルート等魅力的な山岳観光が富山県に、しかも、こんなに身近な所にあるのは嬉しい限りである。
これを、もっともっと内外に発信してゆきたいものだ。

写真は、トロッコ電車。欅平にて。奥鐘橋より人食い岩を望む。名剣温泉。

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立山砂防の防災システムを世界遺産に

初雪の 高嶺を裂きてみ空より もみじの中に 落つる大滝 称名滝にて  川合玉堂 

10月30日{13時30分―17時}富山国際会議場メインホールで、世界遺産登録推進シンポジウム{主催・富山県世界遺産登録推進事業実行委員会}が開催された。
開催主旨は「富山県は、日本イコモス委員会によって「日本の20世紀遺産20選」に選定された立山砂防の歴史的砂防群の世界遺産登録を、関係機関や民間団体等と連携しながら目指す」とパンプレットにあります。
そして、今回のシンポジウムでは、立山砂防の世界遺産登録に向けた評価を確立するため、世界遺産の最前線で活躍する専門家による世界遺産を活かしたまちづくりについての講演や世界遺産とツーリズムの現状・防災遺産のツーリズム活用についてのパネルディスカッションをとおして立山砂防の顕著な普遍的価値を広く発信する機会として企画されたものです。
 
当日は、
13時30分 開会 主催者挨拶 新田八朗{富山県知事}
13時45分 基調講演「世界遺産を活かしたまちづくり」宗田好史氏{京都府立大教授}
14時45分 報告 「富山県の立山砂防の世界文化遺産登録への取り組み」 新田八朗 富山県知事
15時30分―17時 パネルディスカッション
 ・コーディネーター 西村幸夫氏{日本イコモス国内委員会顧問}
 ・パネリスト 松浦晃一郎氏 {第8代ユネスコ事務局長}
        宗田好史氏 {京都府立大・教授}
        小山内信智氏 {政策研究大学院大学教授}
        北河大次郎氏 {文化庁文化財調査官}

それぞれ専門分野のエキスパートを一堂に会したシンポジウムでした。

ご存知の通り、立山カルデラは、今から163年前1858年{安政5年}、跡津川断層の活動において推定M7,3-7,6の安政飛越地震が発生し、大鳶山、小鳶山が崩壊し約4億㎥の大量の土砂が立山カルデラとその出口付近に堆積し天然ダムできた。
その後、ダムが決壊し大土石流が発生した。これが安政の大災害である。その後、常願寺川は氾濫を繰り返す暴れ川に変わり人々を苦しめた。そこで1906年{明治39年}富山県は砂防工事に着手し1926年{大正15年}より国に引き継がれた。

立山カルデラでは富山平野で暮らす人々の生命や安全を守るため、厳しい自然環境の中に、今日でも砂防工事が続けられている。これによって長年にわたり崩れを防ぎ、流れ出す土砂を止め、下流の富山平野に住む人々を土砂災害から守り続けてきた。それが立山カルデラの歴史的砂防施設群として存在している。
特に1939年{昭和14年}に完成した「白岩堰堤」は副堤をふくめた総落差が108mと日本一の高さの大規模な堰堤だ。1936年{昭和11年}に完成した「本宮堰堤」は、日本最大級の貯砂量500万㎥を誇る。「泥谷堰堤」は1938年{昭和13年}に完成した階段式堰堤で、渓岸や山腹を安定させ、崩壊地の植生回復に寄与している。

これらの防災遺産は、今なお現役で国土の保全に重要な役割を担っている。2017年{平成29年}11月には、常願寺川水系を一体的に治める治水対策の礎となった施設であり、我が国の治水上、価値が高いとして、すでに指定されていた白岩堰堤に、本宮堰堤と泥谷堰堤を加え「常願寺川砂防施設」として国の重要文化財に指定された。{一部シンポジウム資料より}

3時間半にわたる内容を限られた文章で述べることは困難ですが、世界遺産登録申請にはまだまだ克服すべき課題があること。
例えば重要文化財に指定された3ヶ所の堰堤を中心にすべきなのか。或は、それら等を含めたエリアとすればその範囲は。などがあるが、何と言っても県民の盛り上がりが必要不可欠であることだ。
その為にも、小学生の総合学習の場でも取り上げるべきとか。また、ユニークな意見でしたが、子供たちに「トロッコ電車に乗って、たどり着いた天涯に富山平野を守ってきた天涯の村があった」などの童話を作ってはなどの提案もありました。

いづれにしても、富山平野に住む私たちが、災害から守られているのは立山砂防のお陰であるとの意識が希薄なような気がする。それは、普通災害復旧工事と言えば,我々の目に見える場所で行われることがほとんどで,それ故、その有難さを十分感じることができる。
しかし、立山砂防工事は我々の暮しから、遥かに遠い立山カルデラの中であることが、立山カルデラや砂防工事そのものへの認識を希薄にしているのだろう。このシンポジウムを機に改めて立山砂防工事の重要性を再認識した。
国内外へのさらなる発信が必要であり、いつの日か「日本固有の防災遺産―立山砂防の防災システム」が世界遺産に登録されることを願うものです。
地鉄立山駅向かいに「立山カルデラ砂防博物館」があり是非をお勧めしたい。

写真は、パンフレットとシンポジウム風景。

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東山魁夷展

若葉して 御目の雫 拭はばや 唐招提寺にて 芭蕉

先日は紅葉の立山、黒部アルペンルートと称名滝を散策したが、今回は芸術の秋を楽しんだ。
10月12日知人と共に「東山魁夷唐招提寺御影堂障壁画展」を富山県美術館で鑑賞した。以前長野県立美術館、東山魁夷館で画伯の作品を鑑賞したことはあったが、今回は国宝鑑真和上坐像が安置されている奈良唐招提寺御影堂の障壁画は、東山魁夷画伯が一期・二期通算11年の歳月をかけて1980年に全68面完成されたものを、この度、御影堂の全面改修に伴い、富山を含め全国数ヶ所で一堂に展示される貴重な機会となった。

パンプレットによれば、「唐招提寺開山鑑真和上は、12年の歳月を費やし、5度の挫折の末に視力を失いながらも6度目にして来日を果たされました。
この鑑真和上の苦難を御慰めするため東山魁夷画伯によって、和上が御覧になる事の出来なかった日本の山景と海景の障壁画が鑑真和上を奉る唐招提寺御影堂に納められ、続いて鑑真和上の故郷である「揚州」の水郷風景と、中国を代表する「黄山」と山川絶景の「桂林漓江」がそれぞれ中国の風景美として納められました」と記してあります。

また、製作にあたっては日本や中国各地を歩いてスケッチを重ね、いく度も構成を練る中で、山を描く旅は、富山県黒部から始まり、宇奈月から黒部渓谷鉄道に乗り、数多くの写生を残した画伯は、黒部渓谷で目にした風景について「正に渓谷美の醍醐味を満喫させてくれるもの」とあります。
また、東山魁夷「唐招提寺への道」の中に「渓谷としては、是非、黒部へ行ってみたい。

眼を閉じると、障壁画の構想が、朧気ながら浮かんで来る」と記してあり、パンプレットにも、障壁画の「山雲」には、富山で取材した渓谷のイメージが反映されていると考えられる。書いてあるから、障壁画と富山とは無縁ではないのだろう。
私は、障壁画を美術的に論じる知識もなければ、資格もない。ただ、画伯が鑑真和上に捧げた祈りの美は、ほんの少しだけだが理解できたように思う。また、画伯が昭和15年、31歳の時の作品「山・海」の屏風が展示してありました。これは、滑川のある市民の方が県に寄贈されたものと思います。

そして、会場を回りながら、鑑真和上が5度も挫折し、しかも、視力を失いながらも日本に仏教を広めようとした「強い意志」と「情熱」には驚かざるを得ない。また、遣隋使や遣唐使は異国の文化や制度を持ち帰り日本の国造り、取り分け唐の律令制度は日本の国家運営に大きな影響を与えた。

遣隋使では小野妹子。遣唐使では山上憶良、吉備真備、そして、阿倍仲麻呂は唐朝で科挙と呼ばれる役人になる試験にも合格し、高官にまで登り、詩人李白や王維とも親交があったという。在唐54年、日本に帰ることを夢見ながら、異境の地で生涯を終えた。2004年井真成の墓誌が発見されて話題を呼んだが、墓誌まであることからそれなりの人物であったと思われる。

遣隋使は600年ー618年推古天皇の時代に新たな技術や制度を学ぶ為に5回派遣され、唐の時代618年―907年には20回ほど派遣されたという。この中には唐で仏教を学ぶ留学僧も派遣され、その中にいた空海は帰国後真言宗を最澄は天台宗を興す。彼らの帰還する船で日本に仏教を広める為に、唐の僧も日本へやってきた。その一人が鑑真和上である。

2010年上海国際博覧会で復元された遣唐使船を見ると、長さ約30m、幅10mに満たない木造船であった。渡航ルート等々は省略しますが、要は鑑真和上の例を出すまでもなく、命がけで数か月をかけて長安や洛陽を目指した遣唐使の有為な人材も約3―4割は難破、遭難,約3割は帰国出来ず。
こんな危険を冒しても彼等は国の将来に思いを馳せ、荒波を蹴って唐に渡った。

これに比べると、昨今多発する官僚の不祥事は、正に国家公務員としての矜持を忘れているとしか思えない。この、遣隋使、遣唐使として異国の地に渡った先人の姿を思い出してほしいものです。

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錦秋の立山・黒部

継ぎ目なき 天一枚 秋の空

誰の句か知りませんが、私の好きな句です。この句の様にはいきませんでしたが、多少の雲があったとは言え、青空が一杯に広がり山々の稜線がくっきりと浮かび上がる中、10月8日~9日一泊二日で立山黒部アルペンルートの大自然の雄大さを堪能してきました。

我が家を朝6時に車で出発。6時50分立山駅{標高457m}に到着。当日乗車券売り場にはすでに30人ほどの観光客で溢れていましたが、難なくチケットを購入。臨時便が増発され、立山駅発8時10分ー美女平{標高977m}行きケーブル約7分で到着。美女平発8時30分高原バスにて室堂{標高2450m}へ9時20分着。
つまり、海抜0mの我が家から標高2450mの室堂まで、僅か3時間20分である。
これを黒部ダムまで直行すれば、室堂からトロリーバスで10分で大観峰。ロープウェイで黒部平から黒部湖駅。我が家から約4時間で黒部ダムである。なんと便利になったことか。

かって、私は当時の中沖豊知事にこの時間帯を説明して、午前中は室道周辺での夏山スキー昼食後下山し、4時頃から富山湾で海水浴が出来る富山県。これを売りにすればどうだろうか。と話したことがある。
それにしても、春先訪れた際の雪の大谷はどのあたりか。雪が全くないのだから探すのに苦労する。
しかし、それに代わって紅葉である。見事だったのは、大観峰から黒部平へのロープウェイから眺めるタンポ平{標高約1800m}の紅葉と黒部湖である。
赤色やオレンジ色、黄色など鮮やかに映えていた。特に、感心するのは、栄養分が全くないと思われる岩肌にへばりつくように咲いている赤のナナカマドが印象的だった。

室堂辺りは既に紅葉は終え、弥陀ヶ原より少し下の七曲{標高1680m}辺りが見頃である。しかし、バスの車窓からは、秋色に彩られた高原は見えにくく、やはり、これはヘリコプターなどで、上空から眺めるのが一番であるが、所詮庶民には無理な話である。

それにしても、石原裕次郎主演の「黒部の太陽」でもお馴染みの「黒四ダム」は7年の歳月をかけ、大破砕帯との遭遇をも克服し、171名の殉職者を出しながら昭和38年6月完成させた。
この先人達の英知と努力。それは、全線開通50周年の節目を迎えたアルペンルートにも言える。これを最初に提唱した佐伯宗義氏に賛同する者はほとんどいなかったと言う。

考えてみれば、北海道を除く46都道府県が隣接する県が車道で結ばれていないのが、富山県と長野県位である。立山を貫き富山県と長野県に光を。こんな思いもあり、アルペンルートを運営する社名は、立山黒部貫光{株}で、観光でなく貫く光である。

現在、富山県では立山連峰にトンネルを堀り長野県大町周辺と直接道路で結ぼうとする案がある。立山連峰にトンネルを。と言っても、3案があると言われ、まだ夢の段階であるが、北陸新幹線後の夢のプロジェクトであろう。今の日本の土木技術では私は可能と思う。

要は採算性であろう。北陸新幹線は構想から完成まで50年以上の歳月を要したことを思うと、私の眼の黒い間には無理かもしれないが夢は持ち続けたいものである。
「黒四ダム」にしても「立山黒部アルペンルート」にしても、先人達の開発にかける情熱や不屈の闘志と使命感には驚かざるを得ない。特に昨今の環境問題を考える時、アルペンルートは50年も前から環境に配慮し、排ガス対策としてマイカーの乗り入れを禁じたり、トンネル内はトロ―リバスを導入するなど、先進的な施策を展開していることは特筆すべき事と思う。2時半を過ぎると雲も多少厚くなり下山。
3時半頃立山駅から車で称名滝へ。この時間帯になるとほとんど観光客はいなかった。滝の水量は一年で一番水量が少ない時期なのか、大瀑布とまではいかなかったがそれでも圧巻であった。また、ハンノキ滝は消滅していた。

立山山麓で一泊後、翌日は立山カルデラ砂防博物館の見学と大自然の雄大さをたっぷり満喫して帰路に着いた。観光客については非常事態や蔓延防止等が解除され、富山県独自の防止策もステージ1になったこともあってか、室堂では県内の中学生が日帰り旅行として多数来ていたり、まずまずの観光客で賑わっており、一昨年までとはいかないものの、少しずつではあるが元に戻って来ているように思えた。
一日も早く元に戻るように願うものです。

帰宅後、友人に黒部ダムの話をすると、ダムの放水を見るためには3階建てのダムレストハウスへ行くか、あるいは下へ降りる方法がある。その下へ降りる階段は自分が設計したと言う。詳細は省きますが私も驚きました。同級生には多彩な人物がいることを改めて嬉しく思いました。

写真は、雄山をバックに。紅葉のタンポ平と右に黒部湖。放流する黒四ダム。称名滝。

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滑高祭2021

落ち鮎の 佳き香り立つ 囲炉裏焼  高島学人

秋晴れの下、青空の広がる中、10月1日{金}~2日{土}「彩色・滑高を個性の色に」をテーマに、滑高祭2021が開催された。
これは、学校行事の一環であり、体育大会、修学旅行と並ぶ3大行事の一つでもある。昨年はコロナ禍で中止となったが、生徒にとっては入学から、卒業までの3年間で一度の開催であり昨年の3年生には気の毒なことであった。

1日は演劇鑑賞として、今なお世界中で愛されているシェイクスピアの4大喜劇の1つである、コメディミュージカル「真夏の夜の夢」{劇団・(株)笑う猫}を全生徒が黒部コラ‐レで鑑賞した。
私自身、鑑賞はしていないので感想は述べれませんが、先生の話では、結構生徒は喜んでいたとのことでした。

2日は生徒15クラス、27部活、2委員会・学科等を各教室を会場にしての発表でした。
9時~9時30分、第一体育館ステージで吹奏楽部の「滑高コンサート」は全生徒参加で、その他の発表等は自由見学であった。
私は全部の発表は見なかったが、今朝、上市川河口で釣った「ハゼ」や「ヤマメ」の水槽飼育展示。姉妹都市、小諸市、豊頃町、那須塩原市の物産展。
プロ並みの写真展。体育大会の様子を記録編集したDVDを上映し、予約販売。
映画鑑賞として「タイタニック」の上映があるなど多彩で趣向を凝らした発表会であったが、企画から設営までの努力が思い出になるのであり、賛辞を贈りたい。

特に、人気があったのは,体育館のステージ上でのダンスである。暗くなった場内で10数名の男子生徒が踊りだすと、女子生徒が持つペンライトが揺れ歓声が上がる。コロナ禍の中、練習するのも大変だったと思う反面、私には中々ついていけないのも年齢の違いだろうか。
この時間帯、他の会場は見学者はほとんどいなかった。

いづれにしても、スポーツ活動や文化活動など平常に少しずつではあるが戻ってくると、生徒たちも喜喜としてくると先生はいう。
考えてみれば、悠久の時の流れには「節」はない。
しかし、人間は「節」を付けた。60秒で1分、60分で1時間、24時間で1日、30日或は31日で1ヶ月、12か月で1年としたり、また1年を春夏秋冬に分けたり、24節気、72候、雑節など、時の流れに「節」を付けた。大晦日に飲む水も元旦に飲む水も本来同じ水である。
しかし、元旦に飲む水はどこか清々しく感じる。それは時の流れに「節」があるからである。高校生活も同様です。コロナ禍で「節」を失った。これによって、自己喪失に陥った生徒もいたのではないかと思う。
しかし、ワクチン接種も進み、緊急事態も蔓延防止も解除された。富山県独自の防止策もステージ1に引き下げられた。
だからといって安心とはいかないが、徐々に回復に向かっていることは歓迎すべきであろう。

写真は、ポスターと男子生徒によるステージダンス

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