なかや一博 ブログ

日別アーカイブ: 2022年1月18日

阪神淡路大震災

平成7年{1995}1月17日午前5時46分、マグニチュード7.3震度7の激震が大都市の直下を震源として大地震が発生した。
阪神淡路大震災である。
気象庁の震度階級に震度7が導入されてから初めて最大震度7に記録された地震である。死者6434人、負傷者43792人、家屋の倒壊10万5000棟、半壊約144000棟。等甚大な被害をもたらした。

ただ、災害でも種類がある。例えば昭和34年{1959}9月26日の伊勢湾台風{台風15号}は死者、4697人、行方不明401人。負傷者38921人、全壊家屋36135棟、半壊家屋、113052棟、流失家屋4704棟等、の被害がでた。
これは台風に高潮が加わったもので、明治以降の日本における台風の災害としては史上最悪の惨事と言われた。

また、大正12年{1923}9月1日午前11時58分発生マグニチュード7.9の関東大震災である。
190万人が被災、死者・行方不明約10万5000人、内、火災での死者は約92000人、それ以外の13000人の内、強い揺れで住宅が全壊したことによる死者数は11000人と非常に多い。
これ程大きな被害がでた原因として、地震発生が昼時で、昼食の準備のため火を使っている家庭が多かったことと、当時の住宅はほとんど木造であったこと等が挙げられる。これを機に、毎年9月1日を「防災の日」と定め、各所で防災訓練が行われている。

次いで、記憶に新しい東日本大震災である。平成23年{2011}3月11日午後2時46分、宮城県牡鹿半島の東南東130㎞付近を震源とする地震で、マグニチュードは1952年のカムチャツカ地震と同じ9、0でこれは日本国内観測史上最大規模で1900年以降世界でも4番目の規模という。
千年に一度とも言われる巨大地震。大津波。火災。加えて原発事故。被害状況は割愛するが、まさに未曾有の大災害である。
これ以外の災害をあげたらきりがない。まさに災害列島日本である。

さて、今年は阪神淡路大震災発生から27年となった。。私にとって毎年この日になると思い出すことがある。
震災のあった翌月2月1日付、読売新聞に「地震につぶされた夢」「父母は自問する 我が子は青春を謳歌したのか・・」と題し、阪神淡路大震災で、神戸大学39人の学生が命を落としていた。そのほとんどが全国から集まった下宿生だった。
銀行員や会計士として一歩を踏み出そうとしていた4年生、ボランティア活動に汗を流す大学院生・・・・。祖国の未来を担うアジアからの留学生も7人いた。一瞬にして押しつぶされた、若者たちの「夢と短い人生」を追った。との記事が掲載され父母や関係者のコメントが報道された。

その中の一人の青年の記事を紹介する。
法学部二年加藤貴光さん{21歳}{広島市}は西宮市のマンションで圧死した。同居していた単身赴任の父宗良さん{44}はたまたま実家に帰っていて無事だった。国連職員か国際ボランティアになるのが夢だった。丑年生まれで愛称は「ウシ」。
荷物を持ったおばあさんを見つけると「飛んでいって手伝うようなやさしい子でした」と母律子さん{46}。
大学に入る時、神戸まで送った母親のコートのポケットに、息子は手紙=別掲=を忍ばせたという。
母はそれをいつも免許証入れにはさんでいた。遺体安置所で、その手紙を読み返した母は、涙を抑えることができなかった。

その手紙とは

親愛なる母上様
あなたが私に生命を与えてくださってから、早いものでもう20年になります。
これまでに、ほんのひとときとして、あなたの優しく温かく大きく、そして強い愛を感じなかったことはありませんでした。
私はあなたから多くの羽根をいただいてきました。人を愛すること、自分を戒めること、人に愛されること・・・・。             
この20年で、私の翼には立派な羽根がそろってゆきました。
そして今、私はこの翼で大空へ翔び立とうとしています。
誰よりも高く、強く自在に飛べるこの翼で。・・・{中 略}・・・
私は精一杯やってみるつもりです。あなたの、そしてみんなの希望と期待を無にしないためにも、力の続く限り翔び続けます。
こんな私ですが、これからもしっかり見守っていてください。・・・{中 略}・・・
また逢える日を心待ちにしております。
最後に、あなたを母にしてくださった神様に感謝の意をこめて。 
翼のはえたーうしーより

私は、この手紙を読むと胸が熱くなる。彼がもし生きていたら、どんな人生を歩んでいただろうか。
果たして私が20歳前後の時、父母にこれだけの感謝の気持ちを持っていただろうか。或は、将来の夢や人生をこれだけハッキリと自覚していただろうか。
恥ずかしながら、なかったと言わざるを得ない。

以前、この話を成人式で何度かした。会場はシーンと静まり返り、中には涙を流す女性もいた。
私は、出席者の中で一人でも感動してくれる人がいればそれで良いと思っている。果たして今の時代と比較すること自体無理なことなのだろうか。

そんな中、「1・17のつどい」が開かれた神戸市中央区の公園「東遊園地」では、竹灯籠約3000本や紙製の灯籠などで「忘・1・17」の文字が形作られ、つどいに向け点火された「忘」の部分が浮かび上がった。と新聞は報じていた。

主催者側によると「忘」は公募で選ばれ「忘れてはいけない」との思いだけでなく「忘れてしまう」「忘れてしまいたい」など様々な声が反映されているという。
私も、あの手紙の内容は「忘れてはならない」し「忘れてはいけない」と思っている。

と同時に、震災の教訓も同様である。

1月18日付 北日本新聞朝刊

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