おしなべて 物を思わぬ人にさえ
心をつくる 秋の初風 西行
台風、ゲリラ豪雨、地震、猛暑を繰り返す中、朝夕の冷え込みや虫の音、そして赤とんぼの舞う風景に秋の訪れを感じる季節となりました。
さて、9月4日高校生にとって青春の一ページとなる滑川高校第76回体育大会が、「一意奮闘―心を一つにー」のスローガンを掲げ盛大に開催されました。副校長の話によればプログラムの最後フォーク・ダンスまで21全種目が行えたのは実に数年ぶりだそうで、確かに昨年は猛暑や強風の年などを考えると今年は本当に良かったと思います。
私の高校時代、舟木一夫の「高校3年生」の歌が流行しました。2題目に「フォーク・ダンスの 手をとれば 甘く匂うよ 黒髪が」の歌詞を懐かしく思い出しました。
昨年も書きましたが、現在の応援団の団名は「青龍」「白虎」「朱雀」の3団{これに「玄武」を加え、東西南北を表しているがその意味は割愛する}である。創立100周年記念誌によれば、第一回運動会は、昭和23年{1948}新制高校としてスタートした時は赤、白、青、黄の4団と記してある。では、いつ頃四神獣を使うようになったのか。
以下は私の勝手な推測ですが、昭和25年4月本校に定時制が併設された。これによって応援団が5団になる。
この時、当然団名が議論されたと思う。赤、白、青、黄、に新たな色を加えるとすれば何色か。それとも新たに考えるか。その結果、赤、白、青、黄に繋がる色として紫が上がる。
又、その色に繋がるものとして,四神獣が浮ぶが玄武があって黄鶴が無い。ただ,日本古来の陰陽道にも四神獣は深い関わりを持っており、陰陽五行の中では,青龍・白虎・朱雀・玄武に麒麟{又は、黄龍}を入れ五神となる。玄武の代りに黄龍を入れると、青龍と紛らわしい。
そこで、詩人李白が友人孟浩然と別れを惜しみ贈った漢詩「黄鶴楼にて・・・・」や中国武漢市のシンボル「黄鶴楼」或は中国料理店の店名によく使われる「黄鶴楼」からヒントを得て「黄鶴」としたのではないか。そして、定時制は「紫雲」と称し、全日制は「白虎」「青龍」「朱雀」「黄鶴」の現在の姿になったのではないだろうか。県下の学校の応援団の名称を調べたわけではないが、「白虎」「青龍」「朱雀」「黄龍」もあれば「白虎」「青龍」「赤麟」「黄鶴」もある。いづれも四神獣や陰陽五行に由来する。戦後新制高校になった時どの学校もこの様な雰囲気だったのかもしれない。
それにしても、私が四神獣を知ったのは、昭和47年{1972}3月21日奈良県明日香村で高松塚古墳が発掘された時ですから、それよりはるか以前に、誰のアイデアであるかは知りませんが、先人の智慧には感心します。
ただ残念なのは、私の時代は戦後の第一次ベビーブームの年代ですから、1学年600名、3学年で1800名、定時制が加わり計2000名。運動会は5団ですからそれは、それは、賑やかなものでした。それに比べれは、現在は、少子化の影響で1学年200名。3学年計600名。応援団は「白虎」「朱雀」「青龍」と3団で、1団200名です。
昨年も書きましたが、私の孫が通う小学校は生徒数約200名で、運動会の応援団は1団50名。赤、白、青、黄のの4団です。滑川高校の応援団も4団にしても1団150名です。小学校と高校を同一には論じられませんが見直してもよいのではと思います。
そして、四神獣や陰陽五行等からの由来も、生徒諸君も知っておくべきと思う。
又、運動会の名称も、現在、「第76回体育大会」となっているが、全校生徒600名が参加していることを考えると、5月1日の「日本海開き」同様、生徒の士気を鼓舞する意味からも「第76回秋季大運動会」と変更してもいいのではないか、と思う。
いづれにしても、グランドに足を踏み入れた時の熱意から、若さや、青春の香りを感ぜずにはおれませんでした。私自身も、青春のひと時を過ごした高校時代を懐かしみ、元気を貰った1時間半でした。
参考まで、平安遷都1100年を記念して、明治28年{1895}3月15日創建された京都の平安神宮は,四神相応の考えに基づいて四神を守護する為に、東に八坂神社、西に松尾大社、南に城南宮、北に上賀茂神社が造られ、その四神の中心を守るのが平安神宮です。
写真は、プログラム。入退場アーチ。騎馬戦。