なかや一博 ブログ

三館巡り

立山連峰 肩組み合って 山笑う

3月12日{木曜日}雲を探すのに苦労するくらい青空が広がり、残雪輝く立山連峰を眺めながら私用で富山へ出かけました。
その折①富山市売薬資料館、②富山市篁牛人記念美術館、③三島由紀夫・隠し文学館「花ざかりの森」を見学しました。

▼富山市売薬資料館
これは、富山売薬商人は商売の前にはどのような準備をしていたのか,あるいは、商売先へ行くまでの旅はどんなものであったのか、、など、江戸時代の状況をたどる企画展でした。
大別すると次のようになります。

㋐売薬人として雇用され、旅立ち商人となる。
㋑旅立つ際に必要な書類。
㋒出発前の準備、持ち物。
㋓商売先への行程。

などで企画展示場・別館旧密田家1階展示場で約40点の資料が展示してありました。
我が家でも、私が小・中学生時代の昭和30年代3人の配置員を雇用していました。旅立つ数日前から旅先の旅館へ発送する「薬」を木箱に入れ荒縄で縛り、全員で大八車かリヤカーで当時の国鉄滑川駅へ運んだのを憶えています。
その時、乗車券を提示する事によって割引制度のあるチッキと呼ぶ方法がありました。
また、出発日は午後から我が家で、全員で夕食を共にし夜行列車で旅立つ姿を見送ったのを思い出します。出張先は秋田方面でしたので、新潟県新津駅で乗り換え翌日午後に目的地に着いたとのことでした。
日頃、見れない資料も数多くありとても良かったです。
企画展は4月19日まで。930-0881富山市安養坊980 富山市売薬資料館☎076-433-2866

▼富山市篁牛人記念美術館
この美術館は丁度売薬資料館の向えにあります。パンフレットによれば、「卓越した技術によって独自の画境を創出し、日本画壇の中でも、ひときわ異色の存在として注目される水墨画家」とし、また、「篁牛人は、日本や中国の故事・伝説などを主な画題として、形容しがたい緊迫感と高遠な精神世界を画面上に展開した画家であります。
彼は渇筆技法と弾力ある長く細い線描を駆使して、豪放で美麗な独自の水墨画世界を構築しました。
また、自然を深く掘り下げた所で自己を見つめ続け、東洋の精神性とされるものをその生涯と画業を通じて一貫して追い求めた」とあります。

今回の館蔵品展は「虎渓三笑」
虎渓三笑は水墨画の画題の中でも有名な故事です。中国の文人逸話に基づいたもので、虎渓という橋を渡る3人が大笑いしている様子が描かれています。
晋の時代、蘆山の東林寺にて隠居の身であった慧遠法師を2人の詩人陶淵明と陸修静が訪ねました。
別れに見送りますがお話に夢中になって、俗界に通じる橋を日頃から避けていたにもかかわらず渡ってしまい、虎の吠える声で気が付いて大笑いしたというもの。
篁牛人はたびたび人物3人と虎を速描きで仕上げました。本展ではユニークな大笑いする様子の「虎渓三笑」を中心に、虎が描かれた作品も展示します。(パンフレットより。)

以前、テレビのお宝探偵団で篁牛人の大作が出品され、数百万円の値がつけられました。
鑑定人曰く、篁牛人の作品は素晴らしい。残念ながらローカルの作家である。オール・ジャパンの人だったらもっとするだろう。と、言ったことを思い出しました。
私には作品を論ずる資格はありませんが、これが芸術か、との思いで鑑賞してきました。
館蔵品展は5月16日まで。〒930-0881 富山市安養坊6000 ☎076-433-9215

▼隠し文学館「花ざかりの森」
この文学館は、三島由紀夫に特化した文学館で、この種の物は全国に、山中湖の文学の森にある三島由紀夫文学館と2ヶ所だけです。しかし、「花ざかりの森」は杉田欣次館長が富山市役所を定年退職後,私財を投じ建設された個人の文学館です。
杉田氏が大学時代に読んだ三島由紀夫の「金閣寺」に感動し、以来三島フアンになったそうです。館名「花ざかりの森」は、三島由紀夫が19歳で出版した第一著作集の題名をご遺族の了解を得て館名としたとのことでした。

現在、三島自筆の原稿や初版本、限定本{署名入り}、初出雑誌、写真集、原作・出演・関連映画演劇の上演台本・ポスター・チラシ・スチーム写真・レコード・カセットテープ・DVD・対象作家評論など千点を遥かに越える資料を保管しているそうです。
個人でこれだけの資料を収集・保存・展示されることは中々容易なことではないと思います。平成19年11月、正式に全国文学館協議会に入会し、翌年、平成20年3月1日開館。
杉田館長の三島に寄せる熱き思いが、個人所有とは思えないほどの瀟洒な素敵な文学館です。是非,お立ち寄りをお薦めします。

今回の企画展は、三島由紀夫没50年記念、三島由紀夫の歌舞伎展として開催されました。
パンフレットによれば、「三島由紀夫の歌舞伎台本は6作あり、日本舞踊劇3作を含めると9作になる。三島の新作歌舞伎は誰言うともなく「三島歌舞伎」と称され同時代の他の作家と識別された。晩年の「椿説弓張月」まで、いづれも「擬古典主義」によって裏打ちされており、他の近代新歌舞伎とは際立って異なった作物であった。徹頭徹尾古典主義を貫いた三島の、歌舞伎との出会いから晩年の三島由紀夫の歌舞伎までの軌跡を辿る。」と、記してありました。三島の多彩な一面を見た思いでした。            
以前、私は陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地を訪ねたことがありました。極東軍事裁判が行われた講堂や地下防空壕、そして演説をしたバルコニー、自決した総監室などを見て来た者として今回の企画展は感慨深いものがありました。

折しも、三島が自決した1970年{昭和45}11月25日の前年に東大全共闘と繰り広げた討論会を題材にした「三島由紀夫vs東大全共闘、50年の真実」のドキュメンタリー映画が完成し3月20日から全国公開されるという。楽しみです。
三島由紀夫略歴 大正14年、東京生まれ。本名、平岡公威{きみたけ}、学習院高等科より東京大学法学部卒。十代から小説を書き始め、昭和23年文学活動に専念する為、大蔵省退官。昭和45年自決。45歳。

今回、勝手に「三館」巡りとして全く違った施設3館を拝観しましたが、これも、趣があって良かったと思いました。

写真は、①旅立つ売薬商人 ②篁牛人・虎渓三笑 ③三島由紀夫昭和15年学習院中等科の時の写真とパンフレット。 

DSCF5252 DSCF5258

DSCF5259



なかや一博 オフィシャルブログ

ブログ 最新の投稿(5件)

6月 2020
« 5月    
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930  
なかや一博 フェイスブック

リンク

トップへ戻る