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司馬遼太郎記念館

9月19日{金}東大阪市にある司馬遼太郎記念館を久しぶりに訪ねた。以前その時の思い出を書いているので、今回は多少加筆する。

さて、氏が亡くなったのは1996年2月12日である。その5年後2001年自宅敷地内に記念館が建設された。
私が、司馬作品に最初に出会ったのはやはり「竜馬がゆく」であった.昭和40年代前半、年代は20代の前半である。以来多くの作品を乱読したが、どの本を読んでも、血湧き、肉踊り、次のページ、次のページとめくり、本から目を離せない状態で読んだ記憶がある。

又、氏の特徴は「峠」の河井継之助,「花神」の大村益次郎、「坂の上の雲」の秋山好古・真之兄弟など,余り知られていなかった人物が竜馬を筆頭に、司馬作品によって現代に蘇ったと言っても過言ではないと思う。

私は、司馬作品に論評を加える程の資格はないが、印象に残っている2点を述べてみる。
産経新聞に月1回寄稿しておられた、風塵抄―1996年2月12日付に「日本に明日をつくるために」と題し,寄稿文が掲載された。実はこの日が氏が亡くなった日である。多分これが氏の絶筆と思われるから、不思議な縁を感じる。

要約すると、氏が東大阪に引越ししたのが昭和39年である。「当時自宅周辺の畑は1本5円ほどの青ネギ畑で、この土地を宅地に転用されれば坪8万円になる。ところが、青ネギが成長する頃には,坪数十万円になっていた。そして銀座の「三愛」付近の地価は、昭和40年、坪450万円だったものがわずか22年後の昭和62年には1億5千万円に高騰していた。
坪1億5千万円の土地を買って、食堂をやろうが、何をしょうが、経済的に引き合うはずがないのである。とりあえず買う。1年も所有すればまた上がり、売る。こんなものが資本主義であろうはずがない。

資本主義はモノを作って、拡大再生産のために原価より多少利をつけて売るのが大原則である。その大原則のもとでいわば資本主義はその大原則を守って常に筋肉質でなければならず、でなければ滅ぶか、単に水ぶくれになってしまう。さらに人の心を荒廃させてしまう。こういう予兆があって、やがてバブルの時代が来た。

しかし、どの政党も、この奔馬に対して行く手で大手を広げて立ちはだかろうとはしなかった。{中略}しかし、誰もがいかがわしさと、うしろめたさを感じていたに相違ない。そのうしろめたさとは、未熟ながらも倫理観といっていい。日本国の国土は、国民が拠って立ってきた地面なのである。その地面を投機の対象にして物狂いするなどは、経済であるよりも倫理の課題であるに相違ない。

「日本国の地面は、精神の上において,公有という感情の上に立つものだ」という倫理書が、書物としてこの間、誰によってでも書かれなかったことである。{中略}住専の問題がおこっている。日本国にもはや明日がないようなこの事態に、せめて公的資金でそれを始末するのは当然のことである。その始末の痛みを感じて、土地を無用にさわることがいかに悪であったのかを・・・思想書を持たぬままながら・・・国民の一人一人が感じねばならない。でなければ、日本国に明日はない。」

これが28年前書かれた文である。現在でも、将来にわたっても通用する言葉である。

政治家、経済人、国民も今一度この言葉を噛み締めるべきでなかろうか。
次に、小学6年生の教科書向けに書き下ろし,「自己の確立」を説いた「21世紀に生きる君たちへ」{1989}である。この中で、司馬さんは、歴史とはなんでしょう、と聞かれるとき「それは大きな世界です。かって存在した何億という人生がそこに詰め込まれている世界なのです」と答えることにしている。私には幸いこの世にたくさんの素晴らしい友人がいる。

歴史の中にもいる。そこにはこの世では求めがたいほどに素晴らしい人たちがいて、私の日常を励ましたり、慰めたりしてくれているのである。だから私は少なくとも二千年以上の時間の中を、生きているようなものだと思っている。
又、自分に厳しく、相手にやさしく、いたわり、それを訓練せよ。それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。そして、たのもしい君たちになっていくのである。」{以下略}

司馬さんは21世紀を待たずして72歳で亡くなった。国民作家が子どもたちに未来を託したこの本は世代を超えて読み継がれ、今、尚、力強いメッセージを放っている。お薦めしたい1冊である。

記念館は1階のフローアは高さ11mの壁面いっぱいに書棚が取り付けられ、資料、辞書、翻訳など2万冊もの蔵書がイメージ展示してある。

又、自宅の玄関,、廊下、書斎、書庫などの書棚に約6万点の蔵書があるという。正に、図書館である。
この多くの資料の中から珠玉の一滴一滴を丹念に取り出し、光り輝き、躍動する文章にしてゆく。それが司馬作品なのだろうと思う。尚、今回の企画展は「空海の風景」であったが機会があればこの内容もお伝えしたいと思います。

2時間半余りの滞在であったが、アッという間の時間であった。この日は京都府木津川市にいる姉の家に宿泊した。
写真は、記念館前にて。中庭から見たサンルームと奥は書斎。ここで数々の作品が生まれた。

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