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鞆の浦と「いろは丸」事件

21日朝食後、坂本竜馬いろは丸事件談判の地、鞆の浦へ向かう。
鞆の浦は瀬戸内海のほぼ中央に位置し、この辺りで、潮の流れが変ることから、潮待ち、風待ちの港として栄え、昭和9年{1934}3月16日,日本で最初の国立公園に雲仙、霧島、そして鞆の浦を中心とした瀬戸内海が指定された。

その鞆の浦の福禅寺は平安時代創建と伝えられ、元禄時代に客殿が建立されました。この客殿からの瀬戸内の眺めが素晴らしく、特に1711年{正徳元年}朝鮮通信使は、この景観を「日東第一形勝」日の昇る東の国で一番の景色であると賞賛し、侍従官李邦彦は書を残しました。また、1748年{延享5年}には正使洪啓嬉は客殿を「對潮楼」と命名し、洪景海も其の書を残している。私もその絶景に暫し見とれた。

さて、慶応3年{1867}4月23日深夜、日本初の蒸気船同士の事故が瀬戸内海の六島沖で起こった。大阪に向かっていた坂本竜馬率いる海援隊の乗った「いろは丸」と長崎に航海していた紀州藩船「明光丸」が衝突。いろは丸は沈没する。沈没前に全員明光丸に乗り移り、避難したのが鞆の浦港であった。ここで3回会談が行われるが決裂した。3度目の会談が行われたのが「對潮楼」であった。

いろは丸は土佐藩が大洲藩から15日間一航海500両で借用した蒸気船で、160トンの英国製。一方明光丸は、御三家・紀州藩の蒸気船で887トン英国製である。竜馬の主張は、万国公法を持ち出し、非{詳細は割愛}は明光丸にあり。
よって「いろは丸」の積荷、最新式ミニエー銃400丁を含め、大量の銃火器類や、当時高価な砂糖などの補償として金8万三千両を要求。紀州藩は断固拒否。鞆の浦、滞在3日間,3度の激烈な断交も決裂し、逃げるように明光丸は長崎へ向かう。後を追うように竜馬らも長崎へ。数度にわたる交渉の結果、7万両の賠償金が支払われた。

御三家の一つ紀州藩を相手に万国公法を持ち出し、賠償金を手にした竜馬や海援隊の名は一気に上がったという。近年地元では何度か潜水調査が行われたが、残念ながら400丁の鉄砲のかけらも発見されていない。果たして竜馬のはったりだったのか。未だ謎である。謎の方がロマンがあって良いかもしれない。鞆の浦には竜馬が滞在中の桝谷清右衛門宅の部屋が当時のまま保存されていたり、潜水調査でいろは丸から引き上げられた船体部分や日用品などの遺物などが展示してあるいろは丸展示館や、実物の5分の2に復元され小島との定期便として運行されている「いろは丸」など見どころ満載の鞆の浦でした。

慶応2年{1866}1月21日竜馬立会いのもと、薩長同盟成立。1月23日伏見寺田屋で幕吏の襲撃を受ける。寺田屋事件。慶応3年4月23日いろは丸事件。6月26日京都で「船中八策」成文化。11月15日近江屋で暗殺される。竜馬16日未明死去。享年33歳。一緒にいた中岡慎太郎17日死去.享年30歳。17日京都東山霊山墓地に埋葬。現在、竜馬のお墓の横に中岡慎太郎、その脇に当日「しゃも」を買いに行った下僕藤吉の小さな墓石があり、東山の山麓から京都市中を眺めているように立っている。

司馬遼太郎の「竜馬がゆく」では「天が、この国の歴史の混乱を収拾するために、この若者を地上に下し、その使命が終わった時、惜しげもなく天へ召しかえした」と表現している。又、この地には幕末の動乱や維新の戦いで亡くなった多くの人々のお墓もある。この墓地の下の方に、護国神社があり、その前に「霊山歴史館」がある。この建物は、松下財団が明治100年を記念して、昭和43年建設したもので、別名幕末維新ミュージアムとも言われ、暗殺現場の近江屋二階が立体的に再現されていたり、竜馬暗殺に使用されたと言われる刀が展示してある。館名通り幕末維新に特化した歴史館で、年2-3回企画展が開催され、私も何度も見学している。

さて、「人間は二度死ぬ。と云う。一度は肉体が滅びた時。もう一度は、人々の記憶から消えた時。と云う。」竜馬のお墓には,香が絶えることがないと云われ、霊山歴史館では、竜馬の生き生きとした姿を見るとその言葉を思い出す。

竜馬は長崎での談判の最中、「よさこい節」の歌詞を変え、「船を沈めたそのつぐないは、金を取らずに国を取る・・・」などの唄を、丸山の花街からはやらせ庶民の同情を集め賠償金交渉を有利に導いたとも言われている。

竜馬の短歌に
①丸くとも 一かどあれや人心 余りまるきは転びやすきぞ
②世の人は われをなにとも ゆはばいへ わがなすことは われのみぞしる

こんな唄を、妻お竜が好きだった月琴を奏でながら弾いている姿を勝手に想像したりした。
いづれにしても、満足した鞆の浦紀行であった。遅い昼食後木津川へ帰還した。
写真は、「對潮楼」から眺めた借景式の瀬戸内海。いろは丸展示館。

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