なかや一博 ブログ

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上 京

7月2日{公益財団法人}全日本弓道連盟令和2年度第1回理事会出席で、久し振りに日帰りで上京しました。最後に開催された理事会は2月13日で、次回の2月28日の開催が昨今の実情から中止となり今日に至りました。
出発前日の7月1日、東京都での新型コロナウイルス新規感染者が67名と発表され多少心配しつつ2日早朝出発しました。しかし、上京中の2日は都内での新規感染者は107名、しかも、2日富山県内でも5月18日以来45日ぶりに感染者が出ました。
また、3日都内では、124名の発生を聞くと、やはり、県外移動はもう暫くは慎重にならざるを得ないと思いました。

さて、理事会は午後2時から新国立競技場の近くで。明治神宮野球場の向かいにある公益財団法人日本スポーツ協会ビルです。このビルに全弓連事務局を始め日本体育協会に加入している各種スポーツ団体の事務局などが入居しています。
当日の理事会は出席理事14名中12名,監事は私を含め2名、オンラインでの参加が理事2名、監事1名。岡山や鳥取からの出席理事もおられました。

平時でも1-2名の欠席者がいることを考えると
①コロナウイルスは収束しつつあると思ったのか。
②職責と思ったのか。
いづれにしても提出された議題は賛成全員で可決されました。

また、オンラインでの会議は私自身初めてであり、コロナ後の新しい生活様式の一部を体験できた良い機会でした。当日、午前中、昨年9月開館した大田区立「勝海舟記念館」を訪ねました。
勝海舟は今更申し上げるまでもなく、幕末から明治にかけての激動の時代を駆け抜けた人物で、革新的な考えを持った幕臣と言われています。

パンフレットによれば
「明治後期,海舟は洗足池の畔に別荘「洗足軒」を構え、自身の埋葬の地と定めました。江戸無血開城直前、海舟は洗足池の畔を経由して池上本門寺の新政府軍との会談に臨んだ。
その時の記憶が海舟を洗足池に強く惹きつけたという。現在も海舟は洗足池の畔に静かに眠っています。」

写真は、勝海舟記念館前。勝海舟と妻、民子のお墓。海舟は明治32年{1899年}1月19日赤坂の氷川邸で死去。妻民子は明治38年死去。五輪の墓石の形式は海舟が生前図案化して指示したものといわれ「海舟」の文字だけを水輪に刻まれいる。

詩碑は西郷隆盛を悼み、3回忌にあたる明治12年{1879年}海舟が自費で建立した石碑で、正面に西郷が沖永良部島の獄中で作った七言律詩で、天皇に対する忠誠心が詠まれているという。
元、葛飾区浄光寺にあったが大正2年に現在地に移設された。勝海舟は77歳で死去したが、人生の約半分は封建社会の江戸時代。後半生は近代国家と発展し、日清戦争の勝利もこの目で見たまさに、激動の時代を生き抜いた人生であったと思う。
幸いにも、海舟は明治に入り氷川の自宅で多くを語っている。それが今日「氷川清話」など数多くの書物を通して知ることができることはありがたいことです。

記念館は大田区洗束2丁目21、大田区立「勝海舟記念館」☎03-6425-7608
休館日・月曜日、入館料・大人300円
山手線五反田駅乗り換え・東急池上線「洗足池」下車徒歩6分

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新型コロナウイルス

紫は 水に映らず 花しょうぶ  虚子

本市行田公園の花しょうぶは盛りは過ぎたが、今年は恒例のしょうぶ祭は残念ながら中止となった。
この祭に限らず各種イベント等も殆ど同様であり、昨今の状況であれば止むを得ないと思う。
しかし、新型コロナウイルスがこれ程、経済活動や観光・サービス業・或いは教育など、あらゆる分野でこんなに大きな影響が出るとは予想しなかった。
中国武漢から発生が伝えられ、1月末武漢からチャーター便で日本人が羽田空港へ帰国した時や横浜港でのクルージング船ダイヤモンド・プリンセス号で船内感染者発生が報じられた時も、さほど緊張感が薄かったと思う。

2月12日私は、全日本弓道連盟理事会出席の為、家から7枚のマスクを持って上京した。しかし、都内ではまだマスク着用者は少なかった。その後、外出自粛要請や非常事態宣言が発出され「三密」の言葉が飛び交う様になった時から人の動きが止まりだした。人が動かないと、物もお金も企業活動も止まってしまう。
これによって経済活動はもとより、観光業、サービス業などが大打撃を受けた。また、休校が相次ぎ、9月入学説が議論されるなど教育の分野でも大きな影響が出た。

「自粛を要請するなら、休業補償をしろ」を始め、喧々諤々の議論沸騰である。日本では都市封鎖や法的拘束力を持って営業を中止させることはなかなか難しい。

だが、ここに来て県内でも少しは明るい兆しが出て来た。                
①非常事態宣言や外出自粛要請の解除に次いで6月19日都道府県をまぐ移動が全面解除になった。
②富山駅周辺の平日の人出が新型コロナウイルス感染拡大前の水準にほぼ戻って来た。
③県内での新規感染者は6月20日時点で33日間連続ゼロである。
④立山・黒部アルペンルートも2ヶ月ぶりに営業再開。
⑤北陸新幹線も回復傾向にあり、高速バス再開、全日空富山―東京便も現在1往復が7月から2往復になるなど徐々に回復しつつある。

富山県に於いても、6月補正予算でリーマンショック時の579億円を180億円余り上回る759億円を予算化した。
主なものは
㋐第2波に備えて、医療、介護提供体制の整備
㋑感染防止対策の強化「新しい生活様式」への対応
㋒事業の継続と雇用の維持、県民生活への支援
㋓経済活動の回復、アフターコロナに向けた取り組み、などである。

また、県内での宿泊代が最大半額になる県民限定や立山、黒部アルペンルートも県内在住者には半額になるという。これらの支援を活用しながら、人が企業が社会が動き始めた。また、「新たな生活様式」として在宅でのテレワーク、サテライトオフィス勤務、時間や場所にとらわれない、テレワーク本来の柔軟な働き方も広がっているという。ホテルやカラオケ店、飲食店など様々な分野で新しい生活様式やテレワークに適した商法で新たなニーズを獲得する動きも出てきている。

いずれにしても,生老病死という避けることの出来ない宿命の中で人類は病気との戦いであった。感染症にしても世界的には、ペスト、天然痘、黄熱病、マラリア、結核、コレラ、スペイン風邪、エボラ出血熱、エイズ、新型インフルエンザ、サーズ、マーズ等数多くの感染症が人類を襲ったがその都度制圧してきた。
新型コロナウイルスも現代医学の英知を集め、ワクチンを開発し恐らく制圧すると思う。しかし、いつかはもっと毒性の強いものが人の社会に入って来るだろう。
何故なら、人類は人口増に伴う経済発展により奥地の開発が進み、人が動物を通して未知の病原体と接することで新しい病気にかかることが20世紀後半から起きている。ましてやグローバル化の流れの中では尚更である。

こう考えると、感染症も繰り返される流行と同じで、豊かさや、新しさを常に追い求める暮らし方の中にあると思う。第2波、第3波が予想される中、第1波をしっかりと検証し今後に生かさねばならない。
作家・吉川英治の言葉を紹介したい。
「晴れた日は晴れを愛し、雨の日は雨を愛す。楽しみのあるところに楽しみ、楽しみなきところに楽しむ。」



日本一遅く桜開花

散る桜 残る桜も 散る桜  良寛

新型コロナウイルス感染症が発生してから、聞きなれない言葉が溢れている。最初に耳にしたのは、PCR。今では5歳の孫までが口にする。
次いで、最近では、抗原体検査。抗体検査。又、ホームスティは馴染みの言葉だが、今ではステイホーム。そして、テレワーク。オンライン。テイクアウト。クラスター。に、パンデミック。

治療薬の名前にしても、新型インフルエンザに開発された「アビガン」は富山県人には馴染みがあるが、エボラ出血熱の「イムデシベル」、関節リウマチの「アクテムラ」、マリアナの「クロロキン」、気管支喘息の「ミクレソニト」等々カタカナばかりである。
これらの一部はワクチンが開発されるまで、効果や副作用を検証しながら使用され、他の製品は同様に治験が続けられるという。

人類は今日まで、何らかの病気との闘いの歴史である。北里柴三郎博士などによって破傷風や黄熱病の感染症が撲滅されたように、必ずや人類は新型コロナウイルスにも打ち勝つであろう。その日が一日も早く来るのを願うばかりです。

さて、前置きが長くなったが、気象庁は5月10日北海道稚内市と釧路市でエゾヤマザクラが開花したと発表した。気象庁の全国の観測地点では最も遅い開花宣言である。
1月6日沖縄県那覇市でヒカンザクラが開花してから約4ヶ月後となった。稚内気象台によると10日午前10時すぎ、稚内市の天北緑地にある国内最北の標本木で6輪ほど咲いているのを職員が確認し、平年より4日早かったという。
釧路気象台も午後3時ごろ鶴ヶ岱公園の雑木林で開花を確認。平年より7日早かったという。そんな新聞記事の隣りに奄美が梅雨入りとの記事があった。鹿児島県の奄美地方が全国で最初に梅雨入りしたとみられ平年より1日早く、昨年より4日早いという。

日本列島が如何に南北に長いか、桜前線や田植え前線は南から北へ日本列島を北上すると表現し、片や紅葉前線は北海道大雪山系旭岳から南下すると表現する。梅雨前線のように正式な気象用語ではないというが、日本語は美しい。俳句や短歌が英語に訳されるが、美的感覚は日本語にほど遠い。

私が配置薬業に始めて従事したのは昭和41年4月で回商地は秋田県大館市周辺で、花見と言えば青森県の弘前城である。私自身何度も行ったが4月末から5月のゴールデンウィークが満開であった。
ここが散ると桜前線は津軽海峡を渡り函館に上陸し北上を続ける。やがて、最北の地釧路や稚内に到着する。これが5月20日頃だったと思う。
それを思うと、地球温暖化は確実に進行している。南極大陸や北極海の氷、そして世界各地の氷河が溶け、太平洋の小さな島々が水没の危機に直面している。そんなニュースに接してもピントこない。

感染症は目に見えず突然くるが、地球温暖化は目に見える形ですでに現れている。我々はこの問題にもっと真剣に向き合うべきでと思う。



薬神神社春季例大祭

5月8日恒例の薬神神社春季例大祭{主催・薬神神社奉賛会・石倉雅俊会長}は加積雪島神社境内にある同神社において横川宮司によって厳粛に執り行われました。
当日は、曇一つない抜けるような空の青さに、若葉、青葉の新緑が煌めく中、祝詞奏上、玉串奉奠と続き商売繁盛と共に、新型コロナウイルス感染症の一日も早い終息を祈願しました。
ただ、ウイルス感染防止の為、参列者全員マスク着用しかも、人と人との間隔を1m以上開けるなど異様な風景でした。そんなことで参列者はいつもより少なかったです。

石倉会長は挨拶の中で、この例大祭を開くか、どうか色々意見があったが、従来行ってきた直会を中止し、神事のみ行い商売繁盛と共に、薬業人一体となってコロナウイルスに打ち勝ち、ステイホームで不要不急の外出を自粛しているお得意様の家族の安全・安心に果たす「置きくすり」の役割の重要性を力説されました。
また、市議会開会中で、市長、議長が欠席の為、来賓を代表し大門良輔県議会議員が、今日の皆さんの元気、意気込みを、お得意様にお届けし、コロナに打ち勝ち一層の商売繁盛を願う挨拶がありました。
また、市商工会議所より杉田隆之専務理事、沢崎高平雪島神社総代等々のご参拝もありました。

さて、新型コロナウイルス感染症は、当初富山県内での感染者は0が暫く続いていましたが、新聞報道では5月8日現在、感染者218人、死者14人とされています。
しかし、感染者数は県内を含め全国的に減少傾向にあり,滑川市を始めとして県内の休館中の公共施設は一部再開へ、休業要請の出ていた飲食業も要請が11日解除されるのに伴い再開への動きが広がって来ているという。
また、治療薬も、米国で開発されたエボラ出血熱治療薬「レムデシベル」が我が国で特例承認され、「アビガン」も今月中には承認の見込みという明るい兆しが出て来たとは言え決して油断してはいけないと思います。人命、それはとても大切なこと。第一に人の命を守ること。当然のことです。

その上で緊急事態宣言が出て1ヶ月。9日の北日本新聞朝刊で県内初のコロナ倒産の発生を報じている。著名なエコノミストによれば、緊急事態宣言によって外出や営業の自粛や企業活動の休止が1ヶ月続くと約4兆円の消費が落ち込み日本経済は大きな打撃を受けるという。
これによって倒産が相次ぎ、失業者は増加する。過去のデータから見ると倒産と失業とは連動していて、失業者が1%増えると約2千人の自殺者が出るという。
5月8日現在、我が国のコロナウイルスでの死者は619人です。つまり、人命を守ることと、経済活動とを、どうバランスをとるか、これが問題であり政治家の覚悟の示し処と思う。

兎に角、一刻も早く、一日も早く新型コロナウイルス感染症の終息を願うものです。

尚、薬神神社縁起由来の看板が設置されました。高さ160㎝、横102㎝、説明板は縦60㎝横87㎝。表面に縁起由来、裏面に合祀してある祭神、大己貴命{おおなむちのかみ}・少彦名神{すくなびこなのかみ}・神農の解説が記してあります。
材質は、アルミ角パイプ、案内の表面、裏面はアルミ複合板貼。この案内板を通して、薬神神社が地域の方々に身近な存在として親しまれ、薬業人には心の拠り所として末永く護持されるように願うものです。

令和2年5月9日

写真は、玉串奉奠の私。マスク姿の参拝者。縁起由来の案内板。

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清水寺貫主・森清範先生講演会中止

濃く淡く 若葉の奥も 若葉かな

毎年6月第一日曜日に京都清水寺・貫主森清範先生をお迎えしての市民文化講演会{主催・滑川音羽の会・会長中屋一博}は残念ながら、今回、6月7日開催は中止とさせて頂きました。

今更申し上げるまでもなく、新型コロナウイルス感染症は世界中をパニックに落とし入れました。わが国でも、4月7日7都道府県に5月6日まで緊急事態宣言が発出され、次いで4月16日同宣言が全国に拡大されました。
しかし、5月4日これも5月31日まで延長となり、各地の行楽地やサービス業、企業活動等々に甚大な影響が出ています。本来なら、多くの人で賑わう筈のゴールデンウィークも「ホームステイ」は「ステイホーム」と名を変え、街から賑わいが消え、工場は稼働を止め、まさにゴーストタウンの様相を呈しました。

本市においても、公共施設は休館。各種イベントは中止。学校も休校するなど市民生活にも影響が出ています。終息どころか、収束の目途さえ立っていません。
この様な状況では講演会の中止も止むを得ないと思います。連続24回も続き,楽しみにしておられた多くの方々には申し訳なかったのですが、当方としても断腸の思いの決断でした。

ところで、今回の件から我々は何を学び、なにを教訓とすべきか。
SARS、MARS、エボラ出血熱などは我が国では大きな問題にならなかった。強いて言えば新型インフルエンザの時くらい多少騒いだ程度であった。それ故、今回、経験したことのない国難だ、或いは第三次世界大戦との言葉も飛び交った。
しかし、人それぞれの人生でも、企業経営でも、予期せぬこと、想像もしなかった事が起こる事を私は再認識した。
「アビガン」によって「くすりの富山」の名声が上がったとは言え、一日も早く、収束から終息の来るのを願うばかりです。

令和2年5月6日

写真は昨年の講演会での清水寺貫主・森清範先生。
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