なかや一博 ブログ

月別アーカイブ: 2022年5月

「蜃気楼」

みつけしは 非番の厨夫 蜃気楼  山口誓子

5月25日{水}午後1時頃魚津で蜃気楼を見た。友人5人で昼食後、友人の1人が今日の蜃気楼情報では、出現率が40%と高いから見に行くか。との声で昼食場の近くにある「蜃気楼スポット」と言われる「海の駅」に行った。「道の駅」はよくあるが、ここは海辺に面しているので「海の駅蜃気楼」と言われている。

駐車場の道路沿いの堤防には、大勢の人々が、望遠レンズのカメラや双眼鏡、或は、望遠鏡等を構え観測していた。ボランティアガイドの方は,私達に肉眼でも見えるという。
しかし、元の原形が無いから、これが蜃気楼か、一瞬戸惑う。でも景色が大きく伸びているので、やはりこれが蜃気楼か、と納得する。残念ながら私達は観測機材は何もなく、仕方なく他人の双眼鏡をお借りして覗いたら、はっきりとした風景であった。

双眼鏡はカメラで使う三脚の上にセットされブレる心配はない。なるほど、こんな観測の仕方もあるのか、と感心した。私が見たのは、富山・射水方面であったが、富山新港の新湊大橋がローマ字の[X]を描くように変形しているのが、はっきりと確認出来たし橋脚が上部に反転したように見え、虚像の方が大きくなっていたし、富山の岩瀬ドームがロケットのように伸びている姿や、富山市内のビル郡もみな伸びているなど蜃気楼の特徴がすべて現れていたように思った。ガイドさんの話では、蜃気楼のランクはA–Eまで5ランクあるが、当日はcランクと言う。ランク付けの基準は「観測時間の長さ」「蜃気楼の長さ」「鮮明度」等総合的に判断するとのことでした。

また、当日の魚津は風も少しあり、波立っていたので最初は駄目かと思っていましたが、ガイドさんの話では、富山・射水地方は波も風もないからで、観測地点の天候より出現地域の天候が大事とのこと。この様子は翌26日の北日本新聞でも報道され、今季25回目の上位{春型}蜃気楼であったことや、午前中には黒部方面にEランク、そして同11時50分頃から私が見た富山・射水方面も観測されたと報じていた。
北日本新聞では、毎日の気象情報の中で「今日の蜃気楼・魚津市付近」として予報が出される。帰宅後25日の予報を見ると、魚津では、午前中を中心に晴れて、北寄りの微風、蜃気楼の出現する可能性ある。確率40%と報じていた。

さて、蜃気楼と言えば魚津だが、実は滑川でも観測することが出来る。私の家から海岸まで200m位である。高校生の時までよく蜃気楼が出た、との情報で海岸へ見に言ったことを憶えている。しかし、昭和39年海岸浸食の為に堤防が6m嵩上げ工事が行われ、あたかも、刑務所の塀のような高さになり、出現していても中々見る事が出来なくなった。
しかし、明治・大正・昭和20年代までの観光パンフレットは「滑川の二大奇観」と称し「ほたるいか」と「蜃気楼」を取り上げている。片や魚津でも「ほたるいか」の漁獲量は滑川ほどないが結構ある。

そんな中、滑川では「ほたるいか」の海上遊覧を行っていたので,両市がすみ分けし「ほたるいか」の滑川、「蜃気楼」の魚津になったと言う。私も数十年ぶりの蜃気楼との出会いであった。しかもCランクで見ごたえのある自然現象の短いドラマを堪能した。

今回は残念ながらカメラに収めることはできなかったが、パンフレットには「蜃気楼は見れないと諦めていませんか。実は「魚津の蜃気楼は誰にも見る事が出来るんです」との見出しで、出現4条件が書いてありました。詳細は記しませんが、興味のある方は下記へ。
魚津市埋没林博物館 電話番号 0765ー22ー1049

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第65回東京滑川会総会

塵にまみれし街路樹に いと麗しき小雨降りけり

5月21日{土}11時ー13時30分まで、東京大手町サンケイプラザ3階にて総会・懇親会が開催されました。会場に入った10時30分頃より雨が降り出しましたが、会場を後にした午後2時頃には晴れ上がり、木々の塵が洗い流され、新緑の緑が一層鮮やかに輝いていました。

さて、例年なら100名前後の出席者でしたが、今回はやはり新型コロナの影響で出席者は約60名と少なかったですが、やむを得ないことと思います。
それでも、3年ぶりの開催とあって、開会前からあちこちで再会を喜び合う輪が出来ました。
総会は上田会長の挨拶のあと、会長を議長にして進められ、物故会員に対しての黙祷、令和3年事業及び会計報告、令和4年事業計画及び予算案がいづれも承認され、次いで、役員改選に入り上田芳夫会長が退任、新たに土肥正明氏{清水町出身が}就任、それぞれ挨拶がありました。

上田氏には、8年間の長きにわたり会長として会報「ほたるいかだより」を発行されるなど、会の運営に新風を送るなど、今日までのご尽力に敬意を表するものです。
尚、上田氏と関西滑川会会長千先氏と私は滑川高校の同級生と言う縁もあり大変親しくさせて頂きました。本当にご苦労様でした。
また、土肥新会長には、会の更なる発展の為にご活躍を祈念するものです。

次いで、来賓紹介のあと、滑川会副会長の平山紀夫氏が「ワクチンのことを知ろう」と題しミニ講演がありました。
演題が身近な話題であり、かつ、判りやすく解説され出席者は真剣に聞き入っていました。平山氏は農水省時代主に動物ワクチンを担当し、現在は岡山理科大学獣医学部非常勤講師として活躍されておられます。会員には多彩なメンバーがおられることに改めて感心しました。

懇親会に移り、まず、来賓祝辞は市長代理で柿沢昌宏副市長が市政の現状とふるさと納税に理解と協力を求める言葉がありました。
次いで、富山県首都圏本部本部長の砂原賢司氏は氏の父親が警察官だったので滑川赴任時、田中小学校当時の思い出も含めて話され、次いで東京富山県人会連合会専務理事・伊東靖史氏の3名で、乾杯は千先久矩関西滑川会会長の発声によって懇親会に入りました。

余興は、会員による新川古代神踊りや越中おわら節などが披露され、懇親会が盛り上がりました。和やかな雰囲気で時間は流れ、最後に滑川市と滑川会双方のエールの交換があり3年ぶりの再会ゆえ名残りは尽きませんでしたが、滞りなく終了しました。

いつも思うことですが、遠く故郷滑川を離れても、いつも故郷を忘れることなく、ふるさとの発展を願っておられる方がいることは、本市にとっても本当に心強い限りです。

写真は、土肥正明新会長の就任挨拶。

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令和4年薬神神社春季例大祭

今日 何も彼も なにもかも 春らしく  稲畑汀子

5月8日{日}午前9時より恒例の例大祭{主催・薬神神社奉賛会・石倉雅俊会長}が加積雪島神社境内にある薬神神社において、横川宮司によって厳粛に執り行われた。
今年のGWは4月29日から5月8日まで、最長10日間であり、その最終日であったが当日は、雲一つなく抜けるような空の青さ、黄色味がかった若葉がキラキラと輝き、青葉の新緑が色鮮やかな最高の日和でした。

宮司による祝詞奏上、石倉会長はじめ薬業関係者、来賓、出席者等順次玉串奉奠を行い、商売繁盛、交通安全、コロナ禍の早期終息等を祈願しました。
今回は、2月の市長選挙で初当選された水野達夫市長も参列されました。
また、昨年6月に75歳で急逝された故石崎則紀氏の奥さんと息子さんが参列され玉串奉奠を行い、先人同様薬神神社に合祀されました。石崎氏は今から40年前、私の後、第7代滑川市薬業青年部部長を始めとし、旧富山県薬業配置部会連合会・栃木県部会長など多くの要職を歴任し、業界の発展に寄与されました。私個人としても大変お世話になった方で、ご遺族と在りし日の氏を偲び、しばし、思い出にふけりました。終了後、石倉会長より挨拶があり、市長の参列に謝意を表し、市に対し引き続き業界の振興に理解を求められました。

石崎氏のご遺族には故人の功績を称えた。そして新型コロナは社会に大きな変化を与えた。我々もその変化に対応する必要性を述べ、自主回収や、市内の製薬会社の最近の動向などにも触れ、多くの困難があるが力を合わせ乗り越えてゆかねばならないと決意が述べられた。

次いで、来賓挨拶で水野市長は自身の父が14年前亡くなったが、それまで配置業者として島根県を回商していたこと。その懸場帳は父と共に回商していた自身の弟さんが、10数年前より現地居住し大田市周辺を回商し、現在家族と一緒に松江市に住んでいることなど、薬業と自身の関わりを話、業界の発展に尽力する旨述べられました。

また、大門良輔県議会議員は自分の健康は自らが守ること、すなわちセルフメディケーションの重要性を述べ、幸福も健康であって始めて成り立つ。そこに置き薬の果たす役割がある事を述べ、激励された。

例大祭の後始末を終えた後、社務所に集まり、故石崎氏の思い出や、業界の諸問題について語り合い散会した。

写真は、玉串奉奠する私。挨拶する石倉会長。水野市長。

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令和4年度 第10回「日本海開き」

咲きみちて こぼるる花も なかりけれ  虚子

5月2日{月}午後1時10分から滑川高校恒例行事の「日本海開き」が上市川河口、高月海岸で開催された。これは、かって県立水産高校時代の昭和26年{1951}から始まり、平成12年{2000}海洋高校と改名後も続き、平成22年{2010}高校再編で現在の滑川高校海洋科へと引き継がれている伝統行事です。
再編後から10回目、通算71回の歴史を刻んでいる。当日は、海洋科の生徒1-3年生約120名が参加した。

目的は「海洋高校の伝統を継承し、富山県立滑川高等学校の生徒のはつらつとした若さと旺盛な心意気で、海に挑む海洋精神と粘り強い意気の高揚を図る」とある。
開催時刻の天候は、気温14℃、海水温13℃{昨年は15℃}少々風があり、見物している私でも肌寒く感じる天候でした。

体感温度は、風速1m/S増加するごとに1℃低くなると言われるから生徒諸君にとってはかなり寒かったと思う。最初に学年ごとに円陣を組み、気合を入れた後、ピストルの合図で3年生が一斉に海に飛び込み、20m先の浮きまで泳ぐ者、波打ち際で水を掛け合う者など様々でした。
3年生が上がると、2年生、1年生と順次行い、その間水野市長、私、大門県議、亀谷校長が太鼓を打ち鳴らし、生徒の士気を鼓舞します。

それにしても、やはり若いとは、素晴らしいし、羨ましい。焚き火を囲んでいるとは言え、勢いよく飛び込む姿には、冒頭の「咲きみちて こぼるる花」のように感じました。また、いつも思う事だが、「日本海開き」とは、少々大袈裟に聞こえるが、それ位の気概を持つように、との願いの表れだろうと思う。

写真は、太鼓を打つ亀谷校長、私、3年生の風景

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