なかや一博 ブログ

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滑川市制施行70周年記念式典

11月1日抜けるような空の青に、新雪輝く立山連峰、加えて11月とは思えないような陽気の中,標記の式典が新装なった複合施設「メリカ」で開催されました。
式典は、来賓に新田知事、山本県議会議長、姉妹都市長野県小諸市、北海道豊頃町、東京滑川会、関西滑川会、県内各市町村長,、各議員等約400名近くの多数の出席のもと盛会裏に開催されました。

第一部 アトラクション
バンド名「匂い蜂」による曲目「なめりかわdays」等の演奏。
本市のPR動画の上映。

第二部
柿沢副市長の開式の辞、国歌斉唱、水野市長の式辞、尾崎市議会議長の挨拶、次いで38団体、個人の記念表彰、新田知事、山本県議会議長の祝辞、来賓紹介、祝電披露、小泉小諸市長の万歳三唱、上田市教育長の閉式の辞。で滞りなく終了しました。

さて、滑川市は昭和28年11月1日1町6か村{滑川町、西加積村、中加積村、東加積村、北加積村、浜加積村、早月加積村}が合併し翌年3月1日市制を施行し昭和31年6月1日旧山加積村の一部を編入し、現在の姿になりました。

ここで、昭和28年11月1日の合併の時、医師であり詩人であった高島高氏は次のように述べています。
大滑川町を祝す  北方荘主人 高島高
その握手は 偉大であった
ことほげよ菊かほる佳日よ
1町6か村が 今こそ親愛と協和との
ちかいに燃えたのだ   ――1953年秋――

次いで、昭和29年3月1日市制施行に伴い「滑川市の歌」が制定された。
作詞は前述の高島高、作曲・信時潔である。

霊峰立山おごそかに いま朝明けの陽に映える ひびきてやまぬ有磯海
悠久の道 教え打つ ここに立ちたる栄光の
ああわれらの市滑川 たたえんわれらの市滑川

世界に比もなき蛍烏賊 海の神秘か蜃気楼 自然の美観にめぐまれて
正義進取の意気高し ここに立ちたる栄光の
ああわれらの市滑川 たたえんわれらの市滑川

作詞した高島高氏は昭和29年2月発行の「広報なめりかわ」に作詞者の言葉として次のような文を寄稿している。
「滑川市の歌」の作詞を依頼されたとき、その責任を感じ、一応辞退したのですが、たってということで、何か一つの奉仕という意味で書いてみました。
20数年間,終始「現代詩」を書きつづけ、そこで悩みたたかって来た私は、曲になる歌は元来不得意なのですが日頃、郷土に貢献することの少ない自分を考え、一つの御奉公と思って書いてみたのです。滑川のもつ自然の美しさと、産業と新生の意愁を主体として作詞してみました。

中でも、後半のくりかえされる歌詞の、「ここに立ちたる栄光の」の栄光という言葉に苦心しました。「栄光」という言葉は、元来なにか、固定された概念的な言葉のように考えられ、これを歌詞の言葉とするには余程、慎重にあつかわねばならぬと考えたからです。

外国の詩人は多くこの栄光という言葉を使っているようですが、極自然で成功している場合が多いのですが、日本語になると中々概念的になりやすい言葉のようです。これは、何か宗教的な意味がふくまれているためでしょうか。前句の「ここに立ちたる」という言葉を書いてみて、はじめて「栄光」という言葉を滑川市を形容する言葉として使いました。

拙い作詞も、さいわいに,日頃親しくしていただいている、例の「海ゆかば」「み民われ」などの国民歌の作曲者として令名あり、又音楽家として稀な芸術院会員であられる信時潔先生が快く作曲をひき受けて下さり、かがやかしい光彩を得たことは、何よりもうれしく思っている次第であります。{1954年2月 北方荘にて}

さすが詩人らしい、この歌にかける意気込みや情熱が伝わってくるような気がします。ただ残念なのは、この素晴らしい歌が、歌われることが少なくなっていることです。せめて市が主催する行事の中で、歌う機会があると思うが・・・
今回の式典でも、歌われませんでした。

尚、式典前日姉妹都市、北海道豊頃町按田町長、中村議長、豊頃滑川会の皆さんと久しぶりに我が家で懇談会を開催し、友好を深めました。
70周年は、80年、100年へと続く一通過点です。これを機に、滑川市が更に発展することを念じ会場を後にしました。

写真は、式辞の水野市長。祝辞の新田知事。按田豊頃町長中村議長等豊頃町の人達と。

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