早稲の香や 分け入る右は 有磯海 芭蕉
「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也.舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老いをむかふる者は日々旅にして、旅を栖とす。…」
芭蕉は人生を旅に例えた。
鴨長明は方丈記で「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しく留まるためしなし・・・」と人生を河の流れにたとえ、平家物語は「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色,盛者必衰の理{ことわり}をあらわす おごれる人も久しからずや 只春の夢の如し たけき者も 遂にはほろびぬ,偏{ひとえに}に風の前のちりに同じ」と人生の無常と盛者必衰と論じた。
これを以前、高校の英語の先生に英訳出来るか。と質問したら、ドナルド・キーンの英訳を紹介された。数学者の藤原正彦氏が、日本文学を専攻する英国人に「勉強する上で何が難しいか」と尋ねると、彼らは直ちに「もののあわれだ」と答えた。
氏は「悠久の自然とはかない人生との対比の中に美を発見する感性は日本人が取り分け鋭い」と言っている。言い得て妙である。
徳城寺境内の「有磯塚」の向かいに「早稲の香や・・」の句を住職曰く10年程前に寺に来たドナルド・キーン氏が英訳したのを、2021年8月句碑を建立したという。全文を記す。
SWEET SMELLING RISE FIELDS!
TO OUR RIGHT
AS WE PUSH THROUGH、
THE ARISO SEA
BASHO
ドナルド・キーン氏{1922-2019}は米国生まれ。日本文学研究・翻訳の第一人者。日本文学史全18巻独力で発刊。2013年日本国籍取得。文化勲章受賞者。
残念ながら私には、この碑からは、日本語の持つ繊細な美意識は感じられない。日頃思うに、日本語は漢字・ひらかな・カタカナの3種類を何の抵抗もなく使いこなす。
漢字に至っては、草書・隷書・楷書・行書など、、多岐にわたる。これが日本語の美しさを一層引き立てているのだろう。俳句や短歌や和歌等はやはり英訳するのは難しい分野と思う。富山社交俱楽部での講演は概ねこの様な内容でしたが、それに多少加筆しました。
最後に、記憶と記録の違いである。記憶は必ず忘れ去られ、消えてゆく。記録は一時の出来事を永遠なものにすることが出来る。記録は世の片隅の出来事を全体のものにすることが出来る。記録は名も無き人の行為を人類に結びつけることも出来る。
記録のみが、消えゆくものを不死なものとすることが出来る。「曽良旅日記」や「俳諧わせのみち」から改めて記録の大切さを学んだような気がした。
写真は、講演中の私。ドナルド・キーン氏英訳の「早稲の香や 分け入る右は 有磯塚」句碑