なかや一博 ブログ

月別アーカイブ: 2023年5月

令和5年琵琶演奏会

逞しき 若葉青葉の せめぎ合い

5月5日・こどもの日に恒例の錦心流琵琶富山支部{支部長・杉本操・後援会長・中屋一博}の春季演奏会が、中川原町内詩吟の会の皆さんのご出演も頂き市内瀬羽町国登録有形文化財「ぼんぼこさ」{旧・宮崎酒造}で開催された。

当日は、こどもの日・端午の節句であり会場の土間には吹き流しの大きな鯉が数匹吊るされ、演奏場所には10種類の武者人形も飾られるなど雰囲気を盛り上げていました。
私は挨拶の冒頭思わず、こんな立派な兜なら大谷翔平選手所属のエンゼルス球団に寄付して使ってもらえばどうだろう。つい発言してしまいました。

それにしても当日午前中、私用で富山市へ出かけましが、8号線を走行中でも、屋外での鯉のぼりは全く見かけませんでした。家の構造上、屋外での設置場所や竿の長さ、保管場所など考えれば、屋内での武者人形に変化するのも時代の流れなのだろう。しかし、5月5日は歴史的にも、現在の実態も男の子の日である。この日が祝日で女の子の日、つまり3月3日桃の節句は祝日でない。

私の解釈では、戦後昭和23年7月国民の祝日に関する法律が制定された時、男女平等を考え、「こどもの日」としたのだろうと思う。当日午前11時富山市の気温が28,7度と全国最高気温であった。6月下旬から7月の暑さだという。
考えてみると、3月1日ホタルイカの解禁日には、漁獲量は僅か59匹。
以後今日まで記録的な不漁である。又、桜の開花や満開宣言は全国的に観測史上最速を記録している。以前話しましたが、昭和40年代私は、何度も青森県の「弘前城桜祭り」を見物した。時期は4月末から5月5日までのGWであった。

その後桜前線は津軽海峡を渡り、北海道に上陸すると言われた。それが、数日前、日本最北端稚内で蝦夷山桜の開花宣言が発表された。これで開花宣言は終了する。やはり、地球温暖化は確実に進行していると思う。

それにしても、日本は美しい。桜の時期は桜花爛漫、それが終わる百花繚乱、そして若葉・青葉の季節とくる。

さて、今回の演奏目録は
一 青葉の笛  演奏者 伊藤紫紺
二 詩吟{合吟「富士山」佐々明山 小田寿山 山口紀泉 山岸明山 神田恵子
三 羅生門   演奏者 嶺瑛水
四 詩吟{独吟}「大楠公」 前佛謙岳
       「早稲の香や」 山岸宏岳
       「自訟」    佐々岳晟
五 敦盛   演奏者  有澤結水

である。青葉の笛は源平合戦の折、平家の若武者平敦盛が一の谷の合戦で源氏の熊谷直実に討ち取られた時、敦盛が持っていた青葉の笛と我が子と同年代の若者の死を悼み、世の無情を感じ出家する。
その後一の谷を訪れた時、どこからともなく青葉の笛の音が聞こえる。など歴史的故事に因んでいる。羅生門にしても平安時代後期の説話集「今昔物語集」に由来し、これを元に芥川龍之介の短編小説「羅生門」が書かれている。
詩吟も同様に歴史的な故事に由来している。

そんな中、今回、詩吟で山岸宏岳氏が松尾芭蕉の奥の細道紀行の折、滑川で詠んだと言う「早稲の香や 分け入る右は 有磯海」を詩吟で郎ろうと吟じられた。「曽良随行日記」が昭和18年世に明るみに出て、芭蕉が滑川で宿泊したのが事実となる。
時は元禄2年閏7月13日である。この事実さえ市民から忘れ去られようとしている。残念なことである。山岸さんが詩吟の分野に芭蕉の句を取り上げられたことに敬意を表したいと思う。

先に「鯉のぼり」について話をしたが、大正2年「鯉のぼり」の歌がある。
①甍の波と雲の波 重なる波の中空を 橘かおる朝風に 高く泳ぐや鯉のぼり
2題目からは省略しますが、大正2年である。この時「早春賦」もある。大正元年には「茶摘み」や「春の小川」大正3年には「故郷」や「朧月夜」などの名作が数多くあるし、私の母校滑川高校の卒業式では、今でも在校生は明治14年の「蛍の光」卒業生は明治17年の「仰げば尊とし」を歌う。

学ぶ意欲があれば、蛍の光を集めても勉強をする例えであり、わが師の恩とは、恩師に対する感謝の気持である。
詩吟や琵琶の演奏曲目の内容は戦後教育の中で、忘れ去られてきたものである。漢詩はいつの間にか、教育の中から消えてゆこうとしているし、琵琶を含め日本の良き伝統文化も同じではないだろうか。
古くても大事なことは沢山あることを挨拶で話しました。

参考まで五節句とは
1月7日{人日・じんじつの日}
3月3日{上巳・じょうみ・桃の節句}
5月5日{端午の節句}
7月7日{七夕の節句}
9月9日{重陽の節句}

写真は、パンフレット。私の挨拶。会場風景。

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「第11回{第72回}日本海開き」

「海」
 松原遠く消ゆるところ 白帆の影は浮ぶ 干網浜に高くして 
 鷗は低く波に飛ぶ 見よ 昼の海 見よ昼の海 
 {大正2年・文部省唱歌}

恒例の滑川高校海洋科による「日本海開き」が5月1日{月}午後13時10分より上市川河口滑川市高月海岸で行われた。
これは、かって水産高校時代の1951年{昭和26年}から始まり、海洋高校、そして現在の滑川高校へと引き継がれている伝統行事の一つです。再編統合から数えて今回は第11回ですが、通算第72回です。
県内では水産関係の高校は、以前単独校として滑川市の海洋高校と氷見市の有磯高校の2校がありましたが、再編統合の結果、海洋高校は滑川高校と有磯高校は氷見高校と統合し,旧校の精神を引き継ぐ形で各校に学科として存続し今日に至っています。

当日は、1ー3年生100名が参加しました。目的は「海洋高校の伝統を継承し、滑川高校の溌剌とした若さと旺盛な心意気で海に挑む海洋精神と粘り強い意気の高揚を図る」とあります。この様な目的ゆえ、あえて「富山湾開き」と言わず、志を高く持つようにとの思いで「日本海開き」となった様な気がします。
尚、この名称は第1回からだそうです。

この日は、やや風が強かったものの、海水温約15度、気温24度前後と各学年ごとに一斗缶にマキが焚かれる中、空一杯に広がる青空など、まずまずのお天気でした。ただ波が少し高かったが泳ぐ場所が突堤や消波ブロックに囲まれている為、以外に消波ブロックの沖より静かでした。ただ、泳ぐ場所が上市川河口傍のため真水が入り込み、消波ブロックの沖合より多少海水温は冷たかったと思う。

最初に、ピストルの合図で3年生が飛び込み、金田校長の太鼓が生徒を鼓舞し約30m沖合の消波ブロック手前の「浮き」まで泳ぐのである。3年生が岸に上がると大門県議の太鼓で2年生、柿澤市副市長の太鼓で1年生と繰り返し、最後に私が打ち鳴らし、全員による遊泳で終わりました。中には海に入らず波打ち際で戯れる生徒もいましたが、これも海洋科の生徒しか味合うことの出来ない思い出の一つと思います。

それにしても、元気溢れる姿から私も元気を貰いました。又、県内でこの様な行事があるのは本校だけであり、今後とも良き伝統行事として引き継がれてほしいものです。

写真は、太鼓を打ち鳴らす金田校長と私。

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