なかや一博 ブログ

日別アーカイブ: 2019年9月6日

滑川高校体育大会

大歓声、リレー、騎馬戦、秋の空

第72回滑川高校体育大会が、9月5日、青空が広がり、爽やかな秋風が頬をよぎる好天の中、開催されました。当初、4日の予定でしたが雨天順延で5日となりました。
本校は少子化の為、普通科が一学年3クラスから1クラス減となり、現在の3年生が3クラスの最後となりました。来年からは、1学年普通科2クラス、商業、薬業、海洋各1クラスとなり、1クラス40人ですから、1学年5クラス計1学年200人、全校生徒数600人規模となります。

私の時代は、戦後の第一次ベビーブームの時で、最高1学年、普通科4クラス、商業科6クラス、薬業、家政科各1クラス、計12クラス、1クラス50人でしたから、1学年だけで600人でした。現在の全校生徒数と同じです。1学年600人3学年ですから、全体で1800人、これに定時制があり2000人を超えていました。今では到底考えられません。
ですから、運動会の団編成は、全日制が4団、1団450人。定時制1団、計5団です。故に、応援合戦やリレーなど、それは、それは、凄まじく、迫力のあるものでした。

団の名称も「青龍」「白虎」「朱雀」「黄鶴」「玄武」の5団です。それに比べると現在は「青龍」「白虎」「朱雀」の3団、1団200人程です。私からすれば、四神の由来からしても、団編成は4団にすべきと思う。1団150人程となりますが、1団とすれば充分な人数だと思う。

今更、申し上げるまでもなく、この四神図が一躍有名になったのは、昭和47年{1972}奈良県明日香村の高松塚古墳の発掘調査によって、飛鳥美人と呼ばれる極彩色壁画が、日本で初めて見つかった時、石室内部の天井及び四周の東側中央に「青龍」その上に日輪西側中央に、「白虎」その上に月輪、北側中央に「玄武」、南側中央に剝落していたが「朱雀」が描かれていたという。
また、星宿図等々も描かれ、日、月、四神を従者にし、死者が永遠の眠りにつく小宇宙を形成しており、中国思想に基づいた貴人の墓とも言われています。この時から四神図も広く世間に知られるようになったような気がします。
私も、数年前この地を訪ね、カビ防止等々修理中の四神図を窓越しに見学してきました。

さて、、私が高校3年生の時は昭和40年ですから、、高松塚古墳発掘調査の7年前です。この時、既に四神図から、各団の名称が付けられていたことに驚きます。また、四神図以外に「黄鶴」を団の名称に使っていますが、この出典はわかりません。
単に、赤、白、、青、黄、と考えた時、例えば、詩人李白が友人「孟浩然」との別れを惜しみ送った漢詩、「黄鶴楼にて・・・」や、中国武漢市のシンボル「黄鶴楼」や中国料理店によく使われる「黄鶴楼」などからヒントを得たのかを含め、いつ頃、誰がこれを採用したものか? 私にはわかりませんが、これを考えた先輩方の智慧にには驚きます。

いづれにしても、グランドに入った時の熱気から若さとか、青春とかを感ぜずにはおられませんでした。私も、青春のいっ時を過ごした高校時代を思い出す中、元気を貰った2時間余りの観戦でした。