なかや一博 ブログ

月別アーカイブ: 2022年3月

広貫堂資料館

頑なに 富山売薬 春の風邪  片桐久恵

桜前線も日本列島を北上中で、間もなく富山県内にも開花宣言が出る季節の中3月25日{金}廣貫堂本社敷地内にあった売薬資料館が62年間の歴史に幕を閉じ閉館することになり最後の機会として訪ねた。
資料館は昭和35年{1960}に開設された「売薬資料館」が平成6年{1994}現在の建物にリニューアルオープンし、富山市の観光拠点の一つとして知られ、県内外の観光客が多数訪れ、1980年代には、年間約3万人が来館した。
しかし、コロナ禍で昨年は約5千人にとどまった。これも要因の一つとなり今回閉館となった。

しかし、展示内容は素晴らしいもので
①大型スクリーンの映像で紹介するシアター
②富山のくすり百選コーナー
③生薬コーナー
④伝統和漢薬コーナー
⑤お土産コーナー

などのほか、越中富山の薬売り、300年を超える歴史を物語る貴重な資料や道具等を集め展示してありました。
生薬コーナーには、六神丸の原料となる、牛黄、センソ、ジャコウ、熊の胆、沈香、人参等を始め、昔からよく使われている代表的な生薬の実物サンプルの展示してある。

特に、多分現存する最古の懸場帳{元治元年{1864}や前田正甫公自筆の「反魂丹」の扁額、或は、元禄3年{1690}の江戸城腹痛事件を再現したジオラマなど、正に、明治9年創業以来150年余県内の代表的な老舗メーカーとして「くすりの富山」をけん引して来た廣貫堂ゆえに建設された資料館であつたと思う。時の流れとは言え誠に残念なことである。

また、大正天皇の行幸、昭和天皇、皇后の行幸啓、現上皇、上皇妃の皇太子時代のご視察など数多くの皇族のご視察記録や写真集なども展示してあった。
さて、これらの貴重な資料は今後どうなるのか。

現在、資料館として県民会館分館金岡邸、富山市立売薬資料館、滑川市立博物館に売薬資料常設展示室がある。また現在議論が停滞している富山城址公園内に「くすりミュージアム」建設構想がある。いづれにしても、展示品は散逸することなく、何処かで保管、展示されることを願うものだ。私自身何度も足を運んだ施設であったので、これが最後かと思うと、やはり一抹の淋しさを禁じ得なかった。

写真は、元治元年の懸場帳、前田正甫公園自筆の扁額「反魂丹」、江戸城腹痛事件ジオラマ。

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滑川高校卒業式

網しぼり きらめき尽くす ほたるいか  高島学人

富山湾に春を告げるほたるいか漁が3月1日解禁になった。初日は50㎏。
昨年の127㎏には及ばないものの今後に期待したい。

さて、前日の同窓会入会に引き続き3月2日、県立滑川高校卒業式が行われた。当日は、新型コロナウイルス感染拡大防止対策のため、式場は保護者は生徒一人に対し一名。在校生は代表者のみ。しかも、国歌、校歌はテープで対応と少し寂しかった。

亀谷校長より197名の卒業者に卒業証書授与が行われたが、驚いたことに197名の内訳は、普通科2クラスで男子30名、女子47名、計77名。
薬業科1クラスで男子17名、女子23名、計39名。商業科1クラスで男子5名、女子34名、計39名。海洋科11ラスで男子19名、女子22名、計41名である。
総数197名の内訳は男子71名、女子126名と圧倒的に女子が多い。取り分け、商業科の男子5名に対し女子34名である。これには驚いた。ゆえに、各科を代表して校長先生より卒業証書を貰ったのは全員女子であった。

また、卒業学年担任の先生14名の内9名が女性教員である。これで野球部やウエイトリフティング或は、レスリング部など男子を主とする部活動の監督や部長等なり手がいるのだろうか。多少心配にもなる。また、126名の女子で名前に子が付いている人は僅か2名である。世の流れを感ぜずにはおれない。

卒業証書授与の後、亀谷校長より卒業生に対し
①夢や目標を持つことの大切さ。
②学び続けることの大切さ。
③自分を律することの大切さ。
が話されました。

次いで、「蛍の光」がテープで流れ在校生代表が卒業生に送辞。次いで、「仰げば尊し」がやはりテープで流れ、卒業生代表が亀谷校長に向かい答辞を述べた。3年間の想い出を語り、時として、涙にむせびながら切々と述べられた。中でも1-2年間は新型コロナウイルス禍で学校行事や部活動の殆どが中止や延期になった時の淋しさ。それを励まし、支えてくれた教職員や家族への感謝。
また、昨年はコロナ禍ではあったが、大運動会や学園祭など学校行事や部活動など、ほぼ消化できたのも在校生の協力お陰と感謝の言葉でありました。
そして、滑川高校3年間の思い出を胸に明日から力一杯生きてゆく決意を述べられた。最後に、卒業生が選んだ、GReeeeNの「遥か」の曲に送られて退場し厳粛な中にも滞りなく終えました。

私は、「蛍の光」と「仰げば尊し」は卒業式には必要な曲だと思う。
最近この曲を歌わない学校が増えつつあることは残念なことです。この曲があるからこそ卒業式の厳粛な雰囲気が作られるのだと思う。
また、送辞にしても、答辞にしても純粋だから感動を呼ぶのだろう。高校は教育の場であり、学び習う学習の場ではない。教え育てる教育の場である。その意味からすれば、校長先生の話も巣立ちいく生徒に贈る言葉とすれば私は良かったと思う。

いづれにしても、過ぎし日の青春時代を思い出しながら、卒業生に幸多きことを願い、校舎を後にしました。



滑川高校同窓会入会式

2月28日富山県立滑川高校同窓会入会が行われた。どの学校も同じと思うが卒業と同時に入会となる。
本校の場合は卒業式の前日に毎年行われ、今年は197名が新たに加わった。現在、会員は約3万4千人を数え県下でも最大規模を誇り、プロ野球ロッテマリーンズの石川渉投手をはじめ、多くの有意な人材が各界で活躍しておられることは嬉しい限りある。誰にも生まれ育った「故郷」があり青春のひと時を過ごした母校がある。

中でも青春の中心的舞台は学校生活であり、多感な学校生活を回顧する時、追憶の中から懐かしい思い出が去来し、哀歓彷彿として思い浮かび固い友情に結ばれた出会いと別れ、という青春の讃歌が鮮やかに蘇る。
しかし、学生諸君に同窓会と言ってもピンとこないと思う。私は、例えばロッテの石川渉選手は、時として魚津市出身と書かれる。間違いではない。
しかし、滑川高校関係者は、石川選手は滑川高校出身と反論する。これが、同窓生であり、同窓会である。と生徒諸君に話しました。
いつの日か「故郷」や「母校」がそれぞれの心の拠り所として、生き続けることを念じて・・・・

もう一点、私は福沢諭吉の「学問のすすめ」の話をしました。197名の生徒諸君に「福沢諭吉」を知っていますか。と壇上から問い掛けたところ、知っていると手を挙げた生徒は、約三分の一程でした。私は、思わず、知っている人は多分財布の中に一万円札を入れたことのある人だろうと思わず発言しましたが、意外に少なかったのには驚きました。

「学問のすすめ」は諭吉の故郷、大分県中津に学校を開くに当って故郷の人達から、子供達に役に立つ本を書いてほしい。との要望に応じて、「何故学問をすべきなのか」、ということを示そうと書かれたものである。
明治5年第Ⅰ篇が書かれたが、ある人がこれを読み「この本を中津の人だけに見せるのは勿体ないから広く世間に公表すべきでないか」という勧めに応じ、明治9年まで計17篇発行した。これが明治13年1冊の本となり合本「学問のすすめ」となる。初年の発行以来9年間で70万冊も売れ当時の大ベストセラーとなった。

さて、この本で特に有名な言葉が冒頭「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。神が人を生じせしめた時から、皆平等である。」とある。広く世に知られた言葉である。
しかし、人間社会を見渡すと、賢い人も愚かな人もいる。貧しい人、金持ちもいる。また、社会的に地位の高い人も、低い人もいる。こうした雲泥の差とも呼ぶべき違いはどうしてできるのだろうか。
それは、人は生まれた時には、人は同じ権利を持ち、生まれによる身分の上下はない。当然、貴賤や貧富の区別はない。と言う意味である。

つまり、しっかり学問をして、物事をよく知っているものは、社会的地位が高く、豊かな人になり、学ばない人は貧乏で低い人となる。
ただ、学問と言っても地理学もあれば物理学、経済学、歴史学など色々な学問がある。まず、人生に役に立つ学問、自分が所属している組織に役に立つ学問、、社会に貢献出来る学問などがを学ぶべきと言っている。

結論として、公に奉仕する公務員だけでなく、大会社で身を立てたい人も、独立して会社を興そうとする人も、すべての人の志が鼓舞され、心を掻き立てられるのが学問である。
「学問のすすめ」はこの様に書いてあることを紹介して、学問の大切さを話しました。
150年前と現在と同一に論じられないと思うが、今でも通用する言葉と思う。
私自身も若かりし頃、もう少し勉強しておればと、反省しても時すでに遅しです。

社会人になる人、進学する人、歩む道はそれぞれ違っても、洋々たる前途が輝かしい未来であることを祈念して、激励と同窓会入会の歓迎の言葉としました。

写真は、挨拶と記念品贈呈風景。

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